謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その6 宗谷岬にて(最終回)
宗谷岬、ここが今回の旅の最終目的地であり、ここで平成23年度9月の「天塩川の旅」は終わりとなり、あとは小樽へ戻ってそこからフェリーに乗って帰るだけである。
早速「日本最北端の地」と記された石碑のある方へ向かった。
その途中には間宮林蔵のりっぱな像が立っている。
少し離れて、日本最北端の地と記された石碑が建てられている。
ついに最北端の地到着である。
今回の旅の目的は3つあったが、その最後の目的として設定していた日本最北端の地の到達がたった今達成された。
日本最北端の店(柏屋)にその日時が表示されていた。
平成23年9月20日、午後4時4分のことである。その時の気温は17度である。
やっと着いたという感じである。
北緯45度31分14秒の地であるが、実はここは日本最北端の地ではない。
北方領土問題で未解決の国後・択捉を抜きにしても、実際に日本政府の実効支配が及ぶ日本最北端の地は、宗谷岬の西北西に位置する弁天島という岩礁である。
島名は、島に弁財天が祀られていたことに由来し、岬近くの珊内集落から北へ約1kmの地にある。
緯度経度は北緯45度31分35秒、東経141度55分9秒である。
緯度にして、21秒宗谷岬より北に位置する。
宗谷岬をぶらぶら歩いていくと、オホーツク海峡周辺図が描かれた石版に出会した。
北海道の最北端・宗谷岬とサハリンの最南端・クリリオン岬の間は約43km、宗谷海峡の最深部は約70mという。
この海峡にトンネルを建設する計画はロシアのプーチン首相やロシア関係者の間でも公の席で発言されており、間宮海峡の架橋も実現すれば、氷河期時代のように日本と樺太とシベリアは1本の道として繋がることになる。
司馬遼太郎がオホーツク街道で言っていた「韃靼街道」は単なる間宮林蔵の足跡を訪ねる旅ではなく、実際の生活の中で生活道路や交易道路として実現する。
この石版を見ながら、宗谷トンネルと間宮海峡大橋を考えてしまった。
その道はシベリア鉄道を経由して、切れ目のない道としてヨーロッパに繋がる。
ところで、朝・昼とも今日はコンビニのおにぎり程度で済ませたので、急にお腹が減って来て、このあたりの開いている食堂を探した。
店の名前も最北端食堂、良い名だと感じて、ここに入ることに決めた。
蟹足、ホタテ、エビ、イカ等の具が、どうだ美味しそうだろう、豪快だろう、食ってみろ!!と言っているような偉そうで贅沢なラーメンだった。
参りました、美味しいです、と正直に心の中で言ってやった。
台風15号も心配なので、今回の天塩川とオホーツク人を訪ねる旅はこのラーメンでエンデングとしたい。
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