岡倉天心 茶の本 第六章 芸術鑑賞 その2

 飢渇のほか何物もわれわれに対して真実なものはなく、われらみずからの煩悩のほか何物も神聖なものはない。

 神社仏閣は、次から次へとわれらのまのあたり崩壊して来たが、ただ一つの祭壇、すなわちその上で至高の神へ香を焚たく「おのれ」という祭壇は永遠に保存せられている。

 われらの神は偉いものだ。金銭がその予言者だ!

 われらは神へ奉納するために自然を荒らしている物質を征服したと誇っているが、物質こそわれわれを奴隷にしたものであるということは忘れている。

 われらは教養や風流に名をかりて、なんという残忍非道を行なっているのであろう!
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 星の涙のしたたりのやさしい花よ、園に立って、日の光や露の玉をたたえて歌う蜜蜂に、会釈してうなずいている花よ、お前たちは、お前たちを待ち構えている恐ろしい運命を承知しているのか。

 夏のそよ風にあたって、そうしていられる間、いつまでも夢を見て、風に揺られて浮かれ気分で暮らすがよい。

 あすにも無慈悲な手が咽喉のどを取り巻くだろう。

 お前はよじ取られて手足を一つ一つ引きさかれ、お前の静かな家から連れて行ってしまわれるだろう。

 そのあさましの者はすてきな美人であるかもしれぬ。

 そして、お前の血でその女の指がまだ湿っている間は、「まあなんて美しい花だこと。」というかもしれぬ。

 だがね、これが親切なことだろうか。

 お前が、無情なやつだと承知している者の髪の中に閉じ込められたり、もしお前が人間であったらまともに見向いてくれそうにもない人のボタン穴にさされたりするのが、お前の宿命なのかもしれない。

 何か狭い器に監禁せられて、ただわずかのたまり水によって、命の衰え行くのを警告する狂わんばかりの渇かわきを止めているのもお前の運命なのかもしれぬ。
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 花よ、もし御門の国にいるならば、鋏と小鋸に身を固めた恐ろしい人にいつか会うかもしれぬ。
 その人はみずから「生花の宗匠」と称している。

 彼は医者の権利を要求する。

 だから、自然彼がきらいになるだろう。

 というのは、医者というものはその犠牲になった人のわずらいをいつも長びかせようとする者だ

からね。

 彼はお前たちを切ってかがめゆがめて、彼の勝手な考えでお前たちの取るべき姿勢をきめて、途

方もない変な姿にするだろう。
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 もみ療治をする者のようにお前たちの筋肉を曲げ、骨を違わせるだろう。

 出血を止めるために灼熱した炭でお前たちを焦がしたり、循環を助けるためにからだの中へ針金をさし込むこともあろう。

 塩、酢、明礬、時には硫酸を食事に与えることもあろう。

 お前たちは今にも気絶しそうな時に、煮え湯を足に注がれることもあろう。

 彼の治療を受けない場合に比べると、二週間以上も長くお前たちの体内に生命を保たせておくことができるのを彼は誇りとしているだろう。

 お前たちは初めて捕えられた時、その場で殺されたほうがよくはなかったか。

 いったいお前は前世でどんな罪を犯したとて、現世でこんな罰を当然受けねばならないのか。

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