津軽街道をゆく(2013年の旅) その71 旧弘前偕行社などを見学
ここで、今回の小説「津軽」散策コースを紹介する。

コースは、①太宰治まなびの家、②旧弘前偕行社、③富名醸造株式会社、④外国人教師館、⑤福島醸造変電所、⑥福島醸造株式会社、⑦万茶ン、⑧笹の舎、⑨榎小路界隈となる。
この全部を廻ったが、紹介はそのうちの主だったものに留めたい。
既に見た①太宰治まなびの家の次は②旧弘前偕行社である。

藩政時代には九十九森と呼ばれた鷹狩場の一つであったというりっぱな庭を通って、旧弘前偕行社の玄関まで来た。
1907年に旧陸軍第8師団の弘前新設に伴う陸軍将校の集会所・社交場として建設された建物である。

随分古い建物ではあるが、細かな造作が見事に仕上がっている。
この洋館も堀江佐吉の作品で、一條ガイドの説明によると、弘前にある洋館のほとんどは彼の手によるものか、息子や弟子の手によるものなのだという。
建築工事の請負人であり設計者である堀江佐吉は起工後2か月後に他界したが、棟梁は長男の彦三郎、世話係に六男の金蔵を配し、子供たちの手で起工から6か月をかけて竣工させたという。
おおよその説明を受けて、建物内に入った。

ここも専任のガイドが居られて、この方の説明で師団長室などの旧弘前偕行社の内部を見せてもらった。

この大広間は旧陸軍第8師団時代には、集会や社交の場として使われたもの。
当時の華やかな様子が目に浮かんだ。
次に④外国人教師館に立ち寄った。

この建物は、堀江佐吉の元で副棟梁をつとめていた川元重次郎によって建てられた。
2003年までは、ここから300m程離れた場所に建っていて、太宰は自分が下宿していた旧藤田家のすぐ近くに建っていたこの建物に住んでいた外国人の英語教師をしばしば訪れていたという。
それではいよいよ、太宰治が青春の日々に学んだ彼の母校へ突入する。
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