長州路(2019年の旅) その16 土井ヶ浜遺跡の正体



土井ヶ浜遺跡はこれまでに延べ19回の学術調査が行われ、300体を超える弥生人の骨が見つかっている。





そのうち人骨の密集した場所から発掘した80体を復元したのがこの土井ヶ浜ドームである。


保存状態のいい人骨が300体も発掘されたのは日本でここだけだという。


松下館長は少し歩いて説明する場所を変えてから話をつづけた。





実はここの展示には嘘が二つあるという。


一つ目は、ここに復元された人骨がレプリカで本物ではないということ。


このように土の上で展示すると人骨はどんどん傷んでいくので、このようには展示できないのだという。


二つ目は、実際の人骨は1mから1.5m下の地下に埋もれていて、それもフラットな地形に埋もれていたのではなく高低差のある地形に埋もれていた。


それでは展示とならないので、全部上にあげてこのように展示しているという。





埋もれていた場所とか身体の姿勢とかは、実測図や写真を参考に正確に復元している。





そして土井ヶ浜弥生人の人骨の最大の特徴は、顔の向きがみんな一緒で、その方向は西の方角を向いているという。


土井ヶ浜人のルーツだが、混血説と渡来説がある。


混血説は、人骨の集団が朝鮮半島からの渡来者と土着の縄文人との混血であるという説。





松下館長は渡来説である。


松下館長達の調査で、中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつ資料が多く見つかり、土井ヶ浜人のルーツは中国大陸にあると考える説である。


松下館長は混血説に否定的で、明快に説明を加えた。


混血をするにはある程度の時間がないといけないし、混血した人骨と混血前の人骨の二つのタイプの人骨がなくてはいけないが、土井ヶ浜人には二つのタイプはない。


土井ヶ浜人は、250年か300年くらいの間、ここ土井ヶ浜で生活しここで埋葬された集団と考えている。


埋葬されていた横断面を見ると、どんなに多くても10名か15名の人骨しかいない。


瞬間的には2家族か3家族が十世代もの間ここで生活し、それが250年か300年くらい経つと300体の人骨となったと考えるのが自然である。


松下館長の説明は非常に論理的でわかりやすかった。





近親者の結婚は彼らも良くないことは知っていて、断続的に大陸からやって来て近くに住んでいた弥生人達と結婚したりしていたのだろう。


彼らが日本に渡ってきた理由について松下館長に聞いた。


縄文時代には特にそのような動きはなく、やはり中国で春秋・戦国と言われた時代に戦争などに巻き込まれて家や土地を奪われた人々が、日本に渡れば生きていけるということで渡って来たのだろうと説明してくれた。





当時の日本海は実は表日本で、大陸や半島で何か事があるたびに、人々は日本海を越えて裏日本と呼ばれている地域に渡ってきたのである。


土井ヶ浜も、もちろんそういう場所の一つである。


彼らは潮流と季節と方向を選び、丸木船程度の船で日本へ渡ってきたのだろう。


最後に松下館長は、土井ヶ浜人混血説と渡来説に決着をつける為に中国に渡って2年間調査し、中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料に出会い、その8割が土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつことを発見した時のことを語ってくれた。


土井ヶ浜遺跡に来て、松下館長から直接話を聞けてほんとうに良かった。

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