津軽街道をゆく(2013年の旅) その65 蓬莱橋から明治屋ゴールデン街まで

これから、団長の話はますます佳境に入って面白くなっていく。

中央弘前駅を降りた男女高校生は、家に直ぐには帰らず土手川の周辺を土手ブラ(ここでは銀ブラとはいわない)し、午後8時頃になると、蓬莱橋下に集まってくるという。



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ここはほとんど真っ暗で、男女高校生たちはここでお別れの最後の熱い抱擁や情熱的なキスをするというのが、弘前の高校生の普通のライフスタイルとか。

蓬莱橋から桜大通りに出て、中三(なかさん)デパートから三上ビルの方向へ歩いていく。

すると前方に何やら不可思議なものが見えてくる。



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この建物は弘前の中心部にある老舗デパートの中三デパートであるが、その屋上に巨大なオブジェが乗っかっている。

あれはいったい何をイメージしたものかというのが、「挑戦状その弐」である。

この答えは縄文式土器だが、今から20年ほど前に三内丸山遺跡が発見され、青森県下の各地でそれにちなんだモニュメントが造られたが、ここもその一つである。

司馬遼太郎は街道をゆくの中で、「青森は太古のにおいがする」と書いているが、僕自身も縄文のパワーがこの街には溢れているように感じた。

団長は、恐山のようなパワースポットが青森県には点在し、その一つの岩木山にはUFOの目撃事例が沢山有り、奇跡のリンゴの木村秋則さんもUFOに連れて行かれた経験がある、彼は何度も神がかりのような経験をしていると話していた。



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土手町の謂れも、土手に造られた街だからという理由で付けられたとのことで、弘前市民の中でもこのことを知っている人は少ないという。

このあたりも土手に造られているので、表と裏では建物分くらいの高低差があり、ここを降りると崖下に通りが出来ていた。



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団長は、今はそう混んでもいない弘前でたった一つのスクランブル交差点の前でタブレットを開き、ここにあったこのデパートが東北で初めて出来たデパートで、この辺りの当時の繁栄ぶりは凄かったと説明してくれた。

更に青森銀行記念館に立ち寄り、弘前のウォール街とも言えるこのあたりの説明をしたり、1852年に長州の吉田松陰(当時22歳)が北方視察の途中に立ち寄り会談した部屋を保有保存している養生幼稚園にも足を伸ばし、松陰と養生幼稚園の関わりなどを明快に話してくれた。

これからナイトスポットに入っていく。



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ここは、BSで放送された「酒場放浪記」で、吉田類が訪れた焼き鳥屋である。

弘前はフランス料理屋や喫茶店と同じく、やきとり屋の多い街だという。





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これから弘前の飲み屋街へ行くが、この道路から左側が明治屋ゴールデン街



何やらイカガワシイ雰囲気ぷんぷんであるが、ここが、明治屋ゴールデン街入口である。



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この左側を降りていく。

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