長州路(2019年の旅) その10 赤間ヶ関史跡を歩く

 赤間神宮から降りて、神宮の前の道を渡って赤間ヶ関と言われた港まで歩いていく。





目の前の道路を渡って、今は公園として整理されている赤間ヶ関港まで歩いていく。


 赤間ヶ関は鎖国政策の江戸時代、公式な外交をしていた朝鮮国が1607年〜1811年の間に合計12回の朝鮮通信使を来日させ、そのうち11回寄港地となった港である。


対馬、壱岐、藍島を経て、日本本土最初の寄港地が赤間関で、赤間関での客館は阿弥陀寺と引接寺、随行の対馬藩士は近隣の商家や寺に分宿したという。





朝鮮通信使上陸淹留之地という記念碑がある場所まで、この矢印に従って、この公園の中を歩いていく。





公演の中はこのようになっている。


ベンチのむこうに見える海が馬関海峡、そしてここに赤間ヶ関もあった。





右手にある細長い大きな記念碑が、朝鮮通信使上陸淹留之地記念碑である。





淹留とは長く滞在するという意味であるが、資料がないのでどのくらいここに滞在したのか不明であるが、それほど長い滞在ではないようである。


この碑は、韓国から運ばれた石を使って、2001年8月に地元有志によって建てられた。


「朝鮮通信使の歴史的意義を再認識し、一行上陸の当地に記念の石碑を建立、その歴史を恒久的に顕彰する」


という建立趣旨が、日本語、韓国語、英語で刻まれている。





朝鮮通信使上陸淹留之地記念碑のある公園に隣接して、赤間関港の遺構と思われる錆びた錨が残されていた。





江戸時代、朝鮮通信使はここに11回上陸して阿弥陀寺などに淹留したのである。


そして、馬関海峡の海である。





司馬さんは日本の数ある海峡の中で、明石海峡よりもこの馬関海峡が好きだと言っていたが、僕も明石海峡は目にしたことがあり、感想は司馬さんと同じである。


馬関海峡の、本州と九州の間の海峡という地理的スケールと、日本の歴史の中で重要な舞台となった圧倒的な存在に、どうしても軍配を上げてしまうのである。

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