「オホーツク街道」の旅 その14 ギリヤクと犬との濃厚過ぎる関係
9,犬の飼養について
シュレンクは,ギリヤクの生活における犬の圧倒的役割を指摘し,それが輸送だけでなく,衣服に用いられる毛皮,食糧としても重要であること,しかもアイヌをのぞいて,アムール河下流部のいかなる民族もギリヤクのようにこれを食用にするものはないとのべている。
林蔵はギリヤクの犬飼養について「貧富の者に論なく家々是を飼さるものなし。その恵養の厚き事又南に倍せり… …」と書いている。
しかしこの部分は,ギリヤクの特徴の1つとして重要かも知れない。クレイノヴィチは書いている。「家のそばに杭が立てられ,それに犬のつながれていないニヴヒ(ギリヤク)の住居は1つもない。それは彼らの生活の不可分の特徴である。犬なしのニヴヒは考えることもできない」。
犬は彼らにとって冬期における唯一の輸送手段であり(犬櫨),薪や干魚などの運搬だけでなく,「山猟を助け」,タタール(間宮)海峡では小舟を引くのにも利用された。小舟は荷物の輸送だけでなく,網をとりつけて漁携にも用いられた。犬はその小舟を水際の岸辺を走りながら曳くのである。林蔵も犬による舟曳きのことを図示している。
ギリヤクは犬が老衰で死ぬことを好まず,使いものにならなくなると,腹いっぱい食わせて殺し,肉は食用,皮は衣服に用いた。
ギリヤクにおいて,犬は交換の対象としても価値があり,婚資に用いられる。小舟,アザラシ皮,脂,銀,絹などとも交換された。犬概1台には少なくとも10頭の犬が必要であり,貧しくてわずかな犬しかもたない者は他人からこれを借りた。
クレイノヴィチによると,ギリヤクの間ではかつて冬期に犬概の競争が行なわれた。ときには長距離にわたり,サハリンではチャイヴォからヌィヴォまで65kmに及んだという。
犬はまた,宗教的な禁忌を破った場合,霊に許しを乞う手段でもあった。つまり自分の持犬を殺して霊をなぐさめたのである。また人間どうしでも,しきたりに反した場合には代償として犬をあたえた。
ギリヤクは,各人が3頭の聖なる犬を所有していた。すなわち,山と水の霊および火の主人に献げた犬である。熊祭り用の熊を飼う人は,この熊に献げた犬を飼った。
これらの犬には,それぞれ山,水,火,熊の霊に献げた供物の残りがあたえられた。
クレイノヴィチの研究によると,ギリヤクの伝承では,最初の犬は天から降ってきたとも,死後別の世界に生きつづけるとも言われている。また,犬は太陽や月にも住み,人間の死後,人間の霊は犬の体内に移るとも考えられた。
子どもの乳歯は犬にあたえられ,犬の頭蓋骨は,家を守り,その住人をあらゆる災難から守るものとして,家の入口の上の屋上においた。林蔵は「大犬,小犬に限らず,撫育の懇至なること枚挙すべからず。実に小児を養育するが如し… …」と書いている
アイヌやギリヤクなどの先住異民族との出会いは、林蔵の旅の目的ではなかったが、彼の旅にいっそう華やかな彩を添える、言わば天からのご褒美のようなものだった。
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