思い出の中の川 第16回 一瞬にして永遠の里山風景
釣りの楽しみは色々あるが、季節を感じる楽しみもその一つで、特に雷集落で味わう早春風景が釣り師のお気に入りである。
雷集落を流れる向川で山女を釣りあげたことは、一つも思い出の中には残っていない。
雷集落へは、春先に足早にやってきて、まるでお祭りのように賑やかに宝石のように鮮やかに、「スプリングエフェメラルや山菜達が奏でる」一瞬にして永遠の里山風景を満喫するためだけに、足しげく通っていたようである。
雷集落は、この山がもえぎ色に染まる頃もいいが、その少し前の、早春の花々やコゴメなどの山菜が芽吹く頃が、僕は一番好きである。
これはキクザキイチリンソウ、スプリングエフェメラル(早春に咲くはかない短命な植物)の一つで、別名嫁泣かせとも言い、嫁たちの春の山入りを告げる花である。(白い花が主流だが、紫色の花もある。)
これはカタクリで、うつむいて咲く聡明な少女を思わせるこの花を、万葉集では傾いた篭に見立てて、カタカゴと呼ぶ。
カタクリの根からとった良質なデンプンは片栗粉となる。
カタクリが群生して咲くこの斜面は、お気に入りの場所で、ここにひっくり返っていると時間の経つのを忘れてしまう。
これはコゴミ、正式名称はクサソテツ(草蘇鉄)、名の知られた山菜の一つで、おひたし、サラダ、ゴマ和えなどの和え物、天ぷらなどにして食べる。
これは判りにくいが、山菜の王様として有名なゼンマイである。
ゼンマイは高い換金性があって、山村の方々のこの季節の主な現金収入となるので、ゼンマイの季節だけは、村の方々はたとえ釣師と言えども、村人以外の者が山に入るのを用心深く見ているのである。
これは猩々袴(ショウジョウバカマ)である。
少女袴かと最初は思っていたが、名前の由来は中国の伝説上の動物である猩々になぞらえ、根生葉の重なりが袴に似ていることから名付けられたとされる。
猩々は古代中国以来のなかば想像上の動物で、後漢書や明の「本草綱目」などには詳しく説明されているが、赤面赤毛のめでたい動物で、よく人語を解し、とくに酒を好むとある。
そして、ゼンマイと猩々袴の共演である。
札束とめでたい動物の共演風景は、今でしか味わえない贅沢な風景となる。
逆光の中で彼らの共演風景を見ていると、ここは桃源郷ではないかと思ったりすることもある。
釣師のこんな楽しみは、釣師の幸せにも繋がっていくようで、釣師をやっていて良かったと思う瞬間でもある。
この記事へのコメント