津軽街道をゆく(2013年の旅) その36 太宰の先導で、蟹田の町を歩く

小説「津軽」の第2章は蟹田だが、その中で観瀾山からの風景はこう書かれている。

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その山は、蟹田の町はづれにあつて、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。けれども、この山からの見はらしは、悪くなかつた。

その日は、まぶしいくらゐの上天気で、風は少しも無く、青森湾の向うに夏泊岬が見え、また、平館海峡をへだてて下北半島が、すぐ真近かに見えた。

太宰の旅した日とは違って、僕の旅した日は少々小雨混じりの、風のかなり強い日だった。

観瀾山を降りて、蟹田川に架かる蟹田橋を渡った。

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蟹田橋の上は風が強くて、帽子が飛ばされそうになったので、しっかり左手で掴んでこの橋を渡った。

小説津軽では、太宰は蟹田を風の町と言っていた。

その前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田つてのは、風の町だね。」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である。

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 蟹田川の河口付近の河辺には蟹田町漁協の建物が建っていた。

 蟹田は蟹田漁港を中心として発達した漁業の町。

 また、小説津軽を引用する。

海浜のすぐ近くに網がいくつも立てられてゐて、蟹をはじめ、イカ、カレヒ、サバ、イワシ、鱈、アンカウ、さまざまの魚が四季を通じて容易に捕獲できる様子である。

この町では、いまも昔と変らず、毎朝、さかなやがリヤカーにさかなを一ぱい積んで、イカにサバだぢやあ、アンカウにアオバだぢやあ、スズキにホツケだぢやあ、と怒つてゐるやうな大声で叫んで、売り歩いてゐるのである。

さうして、この辺のさかなやは、その日にとれたさかなばかりを売り歩いて、前日の売れ残りは一さい取扱はないやうである。

僕の体験した範囲でも、小説津軽で書かれた風景が半世紀以上過ぎた今でも同じように繰り返されていそうな蟹田の町だった。

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蟹田散策の最後に、平成8年にオープンしたトップマスト(観瀾山公園海水浴場に面して建っているガラス張りの建物。館内には、地元物産をはじめ、津軽・下北の特産物などが販売されている。中国料理“シェ・ロンフウ”や展望できるテラスも併設。)内の、むつ湾を一望できる地上30mの展望台に上がった。

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展望台からは蟹田の町やむつ湾が一望でき、岸壁にはこれから乗り込むフェリー「かもしか」が出港の準備をしていた。

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