山女釣り師の聖地「内山節の上野村」への旅 その3

 車を塩ノ沢に進め、国民宿舎やまびこ荘に向かった。

 今日の宿泊場所のやまびこ荘は、イメージしていたよりずっと格調のある建物だった。

 内部も絵画が適度に配置され、家具なども工夫されていた。


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 少し良すぎる今晩の宿舎という印象で、そこそこのホテルの宿泊と同じだと思った。

 部屋に荷を置き、少し部屋で休んでいる間に、時間は12時を回っていた。

 昼食は予定どおり、やまびこ荘前の「峠のうどん屋 藤屋」を選んだ。


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 内山節の何冊かの著書には、「峠のうどん屋」を営んでいるおばあちゃんのことが、店の雰囲気とともに鮮明に描き出されている。

 僕はこのおばあちゃんに会ってみたかった。

 会って、大盛りのうどんを残さず平らげ、「ほんとうに美味かったよ」と一言、言いたかった。

 損得無しの、商売になるかならないかわからない、ただ純粋に自分の作った料理を心から食べて欲しい、その気持ちだけでやってる店と紹介されているうどん屋のうどんを、気持ちを引き締めて食べてみたかった。


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 僕は峠のうどん屋に入った。

 60前後の男性がウエイターをやっていて、その妻と思われる同じ年格好の女性が調理場にいた。

 この女性が料理をするようである。店には2組の客がいて、1組はうどんを食べていた。

 男性ウエイターに、「内山節の本で紹介されている塩ノ沢のおばあちゃんの、手作りうどんが食べたくて来た」ことを告げた。

 だがおばあちゃんは、もうすでに亡くなったとのことだった。

 その息子さん夫婦の代になっていたのだ。

 店には様々な芸能人や取材の人々が訪れているようで、店内の至る所にテレビでよく見る芸能人のスナップ写真が貼ってあり、サイン入り色紙の数もかなりあった。

 内山節の著書に出て来るおばあちゃんの、幸せそうな顔もあった。


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 この店のメニューは野菜天ぷらうどんだけ、あとは刺身こんにゃくとお酒類である。

 早速、缶ビールとうどんを注文した。

 すると、皿盛りの漬物が出され、ビールと共に刺身蒟蒻も出された。

 漬物と刺身蒟蒻はサービスだとわかった。

 おばあちゃんの経営方針がそのまま引き継がれているのがうれしかった。

 ビールを飲み、男性ウエイターと世間話をしている内にうどんが出来上がって運ばれてきた。

 このうどんがすごかった。


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 こんな感じで野菜の天ぷらが乗っていて、通常のうどんの2倍から3倍の量があった。

 このうどんが、あとあと尾を引く結果を残すことになろうとは、その時は思ってもみなかった。

 うどんは手打式の強力粉で作ったかなりの太麺だった。

 普通のうどんは中力粉を使って作られており、ラーメンなど細い麺は強力粉を使って作るものだと記憶していた。

 うどんは市販の優しい食感ではなく、胃にもたれそうな歯ごたえのある、食いでの有るという表現がピッタリのものだった。

 その上にデーンと乗っかっているテンプラも、やはり食いでのある野菜のかき合いで、ビールと漬物と刺身蒟蒻で結構お腹が詰った状態では、厳しい食べ物となった。

 長い間楽しみにしていたおばあちゃんのうどんではあったが、美味そうに残さず食べるには時間がかかった。

汗を拭き拭き、量の多さに驚きつつ、それでも悪戦苦闘の末、汁も残さず食べきった。

 ほんとうに美味しかったよと言おうとしたが、残念ながら言えなかった。

 結果は、参りましたという気持ちだった。


 僕の腹を見ると、パンパンに膨れていた。

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