山女釣り師の聖地「内山節の上野村」への旅 その4

参考資料

内山節講演 (希望とか幸せの形が見えて来るかも・・・)




 この満腹状態で、やまびこ荘で少し休んで、再び中ノ沢へ釣りに出掛けた。


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 塩ノ沢は水の量が極端に少なく、とても釣りどころではなかった。

 中ノ沢の、浜平方面から神流川本流が流れ込むあたりに車を停め、僕はいつもの僕ではなく、内山節になった気分で、中ノ沢に降りた。


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 心は内山節になって、気温は今日も体温並の真夏の昼下がりに、山女釣りを始めた。

 この頃の気象は、1990年代前半とは全然違う。

 地球の危機が叫ばれ始めて、環境破壊の最大の結果が地球全域の温暖化現象である。

 直射日光下ではめまいがしそうな状態でも、川の中に足を入れれば気分は涼夏とまでは行かなくても、心地よい時間を持つことが出来る。

 渓流釣りはこんな時代でも、渇いている人々に潤いを与えてくれる貴重な珠玉の趣味である。

 そして、珠玉の時間が過ぎていき、僕の心は癒されていく。


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 内山節の世界と開高健の世界がドッキングしたような、上野村 での昼下がり。

 この時間を持ちたいがために、僕ははるばる新潟から400キロも愛車を走らせ、その結果として得た貴重な黄金色の時間は、まさに旅のクライマックスの瞬間を、スローモーションで演出しているようでもあった。

 そこは浜平へ向かう橋の下の淵だった。

 10センチ以下の山女を2~3匹ゲットしてはリリースを繰り返し、その場所に辿り着いた。

 数回のキャストの後の投入で獲物は食いついてきた。

 この瞬間を待っていた。

 この瞬間に釣るべき獲物が掛かり、その獲物の気配を全身で感じていた。

 1分程の渓魚とのやりとりの時間が黄金色に輝いていく。

 ふと気がつくと、30代くらいの男女のカップルが、僕の山女釣りの様子を見物しているのに気付いた。

 その2人の視線を気にしつつも、僕は釣るべき山女をゆっくりと釣り上げた。 

 獲物は、20センチ程の標準サイズの山女である。


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 この瞬間、山女釣り師の聖地「内山節の上野村」への旅は終わった。

 僕は山女を男女カップルにあげて、この旅の目的を完全に果たした。

 「内山節の生活する世界で確かなサイズの山女を釣る夢」は現実となり、この思い出は神流川の流れとともに、僕の心の中に永久に残ることになった。

 ところで、このあと過ごしたやまびこ荘の快適な空間は、昼のうどんの後遺症からか、かなりの苦痛を伴ったものになった。


 ご馳走尽くしの夕食は、昼食べたうどんがいまだに腹全体を占領中で、半分も食べられなかった。

 「至高の喜びの後には苦痛はつき物です。」

 そんな天の声が聞こえそうな、「聖地上野村」への旅だった。




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