奴奈川姫の川「姫川」の源流で釣る その1

 姫川の源流で渓流釣りをする機会を持った。

 姫川は河川総延長距離がたった58km、しかしその平均勾配は1000分の13ということで、まさに日本の川の典型のような短い急流の川である。

 姫川は名前も美しい、その急峻な流れも美しい。

 川の名前のルーツは古事記にまでさかのぼるが、古代、姫川下流の越(高志)の国に、奴奈川姫という才色兼備の女性がいた。


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 その噂を聞き、出雲の国の大国主の命が姫に求婚したと、古事記には記されている。(この話は、出雲の国による越の国平定ともとれる。)

 大和の国の成立以前の弥生時代には、出雲、筑紫、越などの日本海沿岸に大きな勢力があったと考えられ、これらの地域は対馬海流を利用する海上の道で結びつき、中国や朝鮮半島とも交易があった。

 日本海沿岸地域から翡翠(姫川産)などが中国や朝鮮半島に渡り、日本海沿岸地域へは鉄などが伝えられた。


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 太古のロマンと神話に彩られた奴奈川姫の川は、やがてその名を短くして「姫川」という名になったと伝えられている。


 姫川は仁科三湖の1番北に位置する青木湖のほとりにある荒神社の境内から、その源となる湧水を発し、白馬村と小谷村という北アルプスの名峰群をいただく魅力溢れる両村の沢水を集め、新潟県の糸魚川に流れ落ち、大所川・小滝川・根知川・虫川などの支流を合流し日本海に注ぐ。


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 その支流の中でも小滝川は有名な翡翠の産地であり、ここが事実上古代越(高志)の国の心臓部だった場所である。



 それでは姫川源流から話を続ける。

 姫川源流は、青木湖の水が地下で漏水してその傍にある荒神社の境内から湧き出ていて、しかもその位置は国道から歩いて10分程のところにあるとのことで、普通の河川の源流とは異なった特殊な源流部となっている。


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 何回か道に迷って、僕は源流の看板のある国道沿いに車を停めた。

 そして、僕は国道から荒神社のある森の中に入って行った。

 この神社は、甲斐源氏の流れをくむ長澤伊勢守源長信が1290年に出雲大社にお願いして建てた神社で、その後嘉永6年(1853年)に最終的に建て替えられ現在に至っている。


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 出雲地方にはこの名の神社があり、荒神社と書いてアラジンジャと読ませる。

 アラという呼称は日本の古い姓氏にも多く、安良という文字をあてたりするが、帰化人の名と推定されていて、おそらく南朝鮮の伽耶(かや)地方を故郷とする氏族で、どこにもそんなことは書いてないが、もしかするとこの神社は韓神を祀っているのかもしれないと思った。

 出雲地方には製鉄技術を持った伽耶地方の人々が対馬海流に乗ってやって来て住んでいたが、もしかすると奴奈川姫の里まで韓人達はやって来て、この辺りに住んでいたのかもと、かってな想像をしてしまった。

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