奴奈川姫の川「姫川」の源流で釣る その2
荒神社の社を後ろから道なりに左廻りし、森を下っていくと姫川源流はそこにあった。
まさに案内書のとおり、源流は荒神社の境内の下から湧き出ていた。
今は渇水期なのだろうかそう水の勢いはなかったが、それでも湿地に生息する植物類の間から噴出すように流れ出ていた。
境内の上から若い女性グループが感嘆して、さかんにカメラのシャッターを切っていた。
源流の標識のところでは、20歳前と思える若者がキャンプ用のストーブの上で肉や野菜などを焼いて飯を作っていた。
姫川源流には10人程の観光客が源流の水を手に触れたり飲んだり、記念写真を撮ったりしていた。
家族連れも2組程居て、子ども達の歓声やはしゃぎ回る音が静かな源流の地に相応しくない違和感を発していた。
姫川源流は、今は夏の顔である。
この一帯は福寿草の大群落がある所で、春先には福寿草の黄色い花が源流に色を添えるのだという。
大糸線と国道から10分程度のところに、北アルプスの清冽な雪解け水を集め一気に奴奈川姫の里へ流れ下る姫川の源流が確かにあった。
姫川源流の第一印象は、まるで早春の花を発見した時のようだった。
早春の花に出会うと、毎年めぐり来る季節がまた来ていたということで、自然の営みに感謝する気持ちと、こんなはかない生き物が厳しい自然の中で花開いているという驚きの気持ちも同時に生ずる。
姫川源流も同じで、創造主である自然の大いなる贈り物に、深く心を動かされた。
僕は源流の流れに沿って少しずつ下流へ歩いてみた。
荒神社の境内を取り巻く森を抜ければ、そこには山間に広がる広大な田園が広がっている。
田園地帯に流れ出る源流は、ほとんどどこにでもある用水路といくらも変わりが無いが、歩いていると気分が良くなる。
故郷の田舎に帰って来たと表現すれば良いのか、忘れていた素朴な風景を取り戻したと表現すればより適切になるのか、間違いなく、そこは源流であった。
「小鮒釣りし、かの川、兎追いし、かの山」の風景がごく自然に何の化粧もてらいも無く、僕の目の前に広がっていた。
石川啄木の「ふるさとの訛りなつかし停車場の」や、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの」や、坂口安吾の「ふるさとは語ることなし」の世界が、ここに広がっていく。
急峻な山峰の沢水となる前の流れを源流と通常認識しているのだが、これはむしろ、母なる胎内に帰還するというような感覚に近いと感じた。
実物の等身大の姫川源流は僕の想像力をかき立て、心の源流を求めての旅とサブタイトルでも付けたくなるような、心象風景の源流の旅を誘発してくれた。
しかし残念なことに、源流より400mは禁漁区となっていたので、それより下流で、僕は源流釣行に挑むことにした。
2003年(平成15年)7月29日のことである。
午後3時頃になっていたろうか、今日は今年の夏1番の暑さになったが、その夏日の真最中に、源流釣りは始められた。
奴奈川姫の御利益を信じ、左手の玉のような魚が釣れることを願った。
最早、どんな魚でも、「釣れれば それで良し」としなければなるまい。
炎天下の夏の釣り、結果は関係ない。
僕はここまで来た僕自身を求めて、僕自身をターゲットにサオを投げ、その瞬間を静かに待ちながら移動していく。
そして、ごくごく自然にその獲物はサオを曲げ、僕は調子を合わせてその獲物をエサに食いつかせ、こうして源流に棲息する綺麗な山女を、一匹ゲットした。
その山女は、どこか奴奈川姫の面影が宿っていたように思えた。
太古の世界に今も生きている奴奈川姫からのプレゼントのように思えた。
こうして、僕は姫川源流に辿り着き、この目で源流を確認し、この手で源流に生息する渓流魚を釣り上げた。
旅の目的は達成され、奴奈川姫の川「姫川」での源流釣行は終わった。
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