飛騨街道をゆく(2014年の旅) その45 赤尾道宗と行徳寺
岩瀬家に続いて行徳寺を見学した。

紅葉の始まった赤尾の山々の前に、岩瀬家と並んで静かにたたずむ行徳寺は、蓮如上人の高弟である赤尾道宗が室町時代末期に開いたといわれるお寺である。

茅葺きの山門は約300年前の建築とみられ堂々とした風格を備えており、左手の標柱石には「赤尾道宗開基行徳寺」と書かれていた。
司馬遼太郎の「街道をゆく郡上・白川街道」には赤尾道宗がこんな内容で書かれている。
「赤尾道宗は富山県では知名度の低くない歴史上の人物だが、日本史の規模では無名の存在といっていい。
その知名度を知るために調べた平凡社の百科事典にも河出書房の日本歴史事典にもその他の事典にも載っていなかった。
赤尾の道宗というのはべつに橋を架けたわけでもなく、百姓一揆の大将でもなく、近隣に威をふるった武将でもなかった。
道宗は僧ですらもなく、在家の身ながらこの白川一帯に浄土宗を広めた人というにすぎない。
ただ蓮如を慕い何度も京都に足を運び、我が信心を確かめた道宗の生涯は富山県では有名で伝記的人物である。」

僕は赤尾道宗を訪ねながら行徳寺本堂まで歩いて来た。
行徳寺は赤尾道宗の屋敷跡に建っており、道宗の子孫の人が住職をしていて、住職の姓は道宗(みちむね)とのことである。
蛇足だが、今夜の宿である赤尾館のご主人も赤尾道宗の子孫で、姓も同じく道宗(みちむね)とのことである。

ここで赤尾道宗がWikipediaにどう書かれているか調べてみた。
道宗(どうしゅう、生年不詳 -1516年)は、室町時代後期の浄土真宗信徒。
俗名は弥七または弥七郎。越中国五箇山赤尾谷の出身であることから赤尾の道宗とも称される。
蓮如の教化を受け、浄土真宗の教えに傾倒し、自ら道場を開いて信仰の宣揚を図った。
蓮如の御文を書写するとともに「道宗二十一箇条」を定め、真宗の信徒としてあるべき道を極めることを試みた。
行徳寺(南砺市西赤尾)や道善寺(南砺市新屋)の開基となったと伝えられている。
早くから往生人の一人に数えられ、後世妙好人の代表とされた。
道宗二十一箇条はあまりに長いので、一部だけ紹介する。
1 後生の一大事、いのちあらんかぎりは、ゆだんあるまじき事。
2 仏法よりほかに心にふかく入る事候はば、あさましく存じ候て、すなわちひるがえ
すべき事。
3 ひきたつる心なく、大様になり候はば、心中をひきやぶりまいるべき事。
4 仏法において、うしろくらき利養心あらば、あさましく存じ候て、手を引く思いを
なし、たちまちひるがえすべき事。
5 心にひいきをもち候て、人のために悪き事つかまつるまじき事。
6 冥の照覧と存じ候て、人しり候わずとも、悪しき事をば、ひるがえし候べき事。
7 仏法の方をば、いかにも深く重く信仰申し、我が身をば、どこまでもへりくだり候
て、たしなみ申すべき事。
以下省略
ところで、仏教は、「後生の一大事」を知るところから始まり、「後生の一大事」の解決で終わるというが、凡人の僕には昔も今も、「後生の一大事」がわからないのである。
これがわかれば赤尾道宗に少しは近づけるのだが・・・・。
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