阿武隈川(2007年)とおくのほそ道の旅 その2 竹駒神社を見学

二木の松(武隈の松)の見学を終え、竹駒神社に向かった。

この神社はJR東北本線・岩沼駅の南約650mに鎮座しており、京都の伏見稲荷、茨城の笠間稲荷と並ぶ日本三稲荷の一つとして知られた神社で、宮城県内では塩釜神社に継ぐ初詣客の多い神社だという。


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ここで、神社というものがどういうものであるか、以前書いた「平成21年の天竜川の旅」の中から関係部分を引用して紹介する。


神社は大きく分けて氏神神社と崇敬神社に分類される。

氏神神社は地域や血縁で繋がった神社だが、崇敬神社は個人の特別な信仰により崇敬される神社のことで、神社によっては氏子を持たないこともある。

氏神神社で一番数の多い神社が稲荷神社で、全国で2万社近くあり個人の邸宅のものまで含めると4万以上で稲荷神が祀られているという。

稲荷神社の祭神は、もともとは山城の国(京都)で祀られていた土地の守り神で、この稲荷神を氏神として祀っていたのが、百済系帰化人で京都盆地に勢力を張った古代の豪族である秦氏。

稲荷神社の総本山は京都市伏見区にある標高233mの稲荷山にある伏見稲荷大社。

秦氏は地方に領地を広げ発展を続け、秦氏に従った地方豪族の子孫は、秦氏にちなみ、畑、畑野、秦野、波多野などという名を名乗り、このような地方豪族の土地に伏見稲荷大社の分社として稲荷神社が出来ていった。

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記念撮影後、朱塗りの一の鳥居をくぐり、社殿に向かって参道を進んでいく。

竹駒神社の歴史であるが、社伝では842年に小野篁が陸奥国司として赴任した際、伏見稲荷を勧請して創建したと伝えられている。

後冷泉天皇の治世(1045年〜1068)に陸奥国を歴遊中の能因が、竹駒神社の神が竹馬に乗った童の姿で示現したとして、当社に隣接して庵を結んで後に竹駒寺となった。

戦国時代以降、伊達家の崇敬を受け、社地を寄進されるなどして発展した。


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両側に赤い派手な幟(のぼり)が並んだ参道を進んでいくと、平成2年に岩沼市の指定文化財となった随身門(桜門)が見えてくる。


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1812年に建立されたこの門は彫刻類や意匠に優れ江戸後期の秀作といわれている。

更に進むと随身門と同じ平成2年に岩沼市の指定文化財となった、向唐門としては宮城県最大級の遺構とされる唐門に至るのだが、今回は随身門の見学までとした。


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再び朱塗りの一の鳥居をくぐり、傍らの「奥の細道」の標柱を見ながら竹駒神社を後にした。

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