阿武隈川(2007年)とおくのほそ道の旅 その34  須賀川散策

「軒の栗」の何伸庵跡をあとに、須賀川では赤字ア;十念寺と赤字イ;二階堂神社を見学した。


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まず、赤字アの十念寺である。


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十念寺は下野大沢(現在の栃木県芳賀郡益子町)の浄土宗円通寺の末寺として、1592年に良岌善龍上人により開創された。

1689年には、芭蕉が「おくのほそ道」の旅で須賀川に滞在した際に、当山に参拝しその足跡を残している。

1855年に、須賀川の女流俳人市原多代女により芭蕉田植唄の句碑が建てられた。


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この句碑には「風流の 初や奥の 田植うた」の句が刻まれている。

境内のこの句碑を詠んでから、静かに十念寺を後にした。

次に、すぐ近くにある赤字イの二階堂神社(旧須賀川城址本丸跡に建立)を見学した。


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神社の鳥居横には須賀川城址の石柱が建っていて、奥には石垣のようなものもある。

須賀川城は須賀川市にかつて存在した平山城で、釈迦堂川の氾濫原を見下ろす段差約20mの台地上にある

1399年に、足利満兼が奥羽支配のため遣わした満貞・満直の配下であった二階堂行続が築城した。


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二階堂氏居城時代の「須賀川城と町割図」が神社の横に掛かっていた。

須賀川城はその後伊達氏の支配下となり、それから蒲生氏の支配下へと変わっていく。


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ここが二階堂神社で、須賀川城主二階堂氏を祀っている。

この神社には日本三大火祭りと称される11月の「松明あかし」という祭りが継承されていて、御神火はこの神社で採火されて翠ヶ丘公園(五老山)へ運ばれるという。

二階堂神社ではお賽銭入れも鈴もないので、2回深く礼をし、2回拍手をし、1回深く礼をして、ここを後にした。

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