長州路(2019年の旅) その68  南溟庭を見る 

 寺の北側の雪舟庭を見終えて、次に寺の南側にある石庭を見ることにした。

 そこに行く途中で、本堂内にある今にも屏風から飛び出して来そうな「群馬図屏風」をしばらく眺めた。

 本堂内の仏壇も立派で、これは後でお参りすることにする。

 一番奥の部屋まで歩くと、ここから北側に造られた雪舟庭が遠くに見渡せた。

 これから、お目当ての南側に造られた庭を見ていく。

 障子戸を出ると、そこには見事な枯山水の庭が広がっていた。

 

 この庭の名は「南溟庭」である。

南溟庭は、常栄寺二十世の安田天山老師が古典造園の復元・修復や創作の大家重森三玲に「雪舟より良い庭を作られては困る。恥をかくような下手な庭を作ってもらいたい」と依頼して築庭させた庭である。

テーマは雪舟が入明し、帰国するまでに往復した海をイメージしたとされている。

石はX字状に配置し有機的な繋がりを持たせた一方、苔による築山は方丈側を高くし、端部は洲浜形にして動きを持たせていて、高い本堂から立って庭を俯瞰するように見るように作られている。

「南溟」の由来は、安田天山老師が荘子内篇第一「逍遥遊」の以下の一節からとったもの。


「北冥に魚あり、その名を鯤(こん)とす。鯤の大いさ、その幾千里なるを知らず。化して鳥となる。その名を鵬(ほう)となす。鵬の背、その幾千里なるを知らず。怒りて飛ぶ、その翼は天に垂るる雲のごとし。この鳥や、海の運くとき将に南冥に徒らんとす。南冥は天地なり」

北溟は陰の世界、北の涯のない暗い海を意味し、南溟は陽の世界、果てし無き南の海、彼岸を望む光明の世界を意味する。

 

 雪舟という鵬は、あらゆる困難を乗り越え海を渡り、彼岸を望む光明の世界を抱え、再び波濤を乗り越えて帰国したのである。
 そんなイメージの庭に、しばしの間遊んだ。

 

この記事へのコメント