探険家の歴史 第1部 その4 南極に魅せられた探検家たち-奇跡の全員生還
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求む男子、至難の旅。わずかな報酬、極寒、暗黒の日々、絶えざる危険、生還の保障なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。
これは南極探検隊員を募るシャクルトンの求人広告である。
アーネスト・シャクルトン(Sir Ernest Henry Shackleton ,1874年2月2日 - 1922年1月5日)はアイルランド生まれの探検家である。
1912年 過去2度、南極点到達を試みていたが果たせぬまま、1911年12月14日アムンゼン成功の報を聞き、即座に次の目標を南極大陸横断と定め、妻エミリーを説得、資金集めにかかった。
1914年8月 オーストリアがセルビアに宣戦布告、シャクルトン隊はイギリス海軍の意向を伺う。
南極探検どころではない世界情勢の中、時の海軍大臣ウィンストン・チャーチルから、「Proceed(進め)」の命令。
シャクルトンは精鋭27名の乗組員とともに、初の南極大陸横断の旅に出た。
隊員はアーネスト・シャクルトン以下、副隊長フランク・ワイルド、船長:フランク・ワースリー、一等航海士:ライオネル・グリーンストリート、航海長:ヒューバート・T・ハドソン、二等航海士:トマス・クリーン、三等航海士:アルフレッド・チーザム、一等機関士:ルイス・リッキソン、二等機関士:A・J・カー、船医:アレキサンダー・H・マクリン、船医:ジェイムズ・A・マッキルロイ、地質学者:ジェイムズ・M・ワーディ、気象学者:レナード・D・A・ハッセー、物理学者レジナルド・W・ジェイムズ、生物学者:ロバート・S・クラーク、写真家ジェイムズ・フランシス(フランク)・ハーレー、画家:ジョージ・E・マーストン、倉庫管理係:トマス・H・オーデリー、船大工:ハリー・マクニーシュ、料理人:チャールズ・J・グリーン、熟練甲板員:ウォルター・ハウ、ウィリアム・ベークウェル、ティモシー・マッカーシー、トマス・マックロード、ジョン・ヴィンセント、機関員:アーネスト・ホルネス、ウィシアム・スティーヴンソン、密航者/調理手伝いの28名である。
1914年8月 1日 エンデュアランス(不屈の精神で克つの意味)号、ロンドン港を出港。
12月5日 エンデュアランス号、サウスジョージア島グリトヴィケン捕鯨基地出港。
1915年1月18日 ウェッデル海の奥で海氷にとじこめられる。
南極大陸まで320kmの地点。
流氷帯に閉じ込められ、身動きの取れなくなったエンデュアランス号。
船を越冬基地と決め、氷が緩むのを待つことにし、10ヶ月ほど氷塊に囲まれたまま漂流を続ける。
↑ こんな美しいオーロラも出たが、それどころではなかった。
10月27日 エンデュアランス号の破壊が進み、放棄して大きな氷盤上のオーシャン・キャンプに移動。その後、マーク・タイム・キャンプ、ペイシャンス・キャンプと次々にキャンプを移設。
1916年4月9日 ペイシャンス・キャンプを放棄、三艘の捕鯨ボートで出発し、4月15日エレファント島に到着。(南極半島の先端から北北東へ200キロ。ゾウアザラシが暮らす島として銘々された。)
4月24日 捕鯨ボートのケアード号、隊長シャクルトン以下選抜隊6名を乗せてエレファント島を出発、約1300km先のサウスジョージア島を目指した。(ケアード号メンバーは、隊長:アーネスト・シャクルトン、船長:フランク・ワースリー、二等航海士:トマス・クリーン、船大工:ハリー・マクニーシュ、熟練甲板員:ティモシー・マッカーシー、ジョン・ヴィンセントの6名の精鋭。)
エレファント島には、 副隊長フランク・ワイルド以下22名が残った。
5月18日 ケアード号、サウスジョージア島に上陸。
上陸地は捕鯨基地の反対側の海岸だったので、体力の落ちていた3人を残し、残り3人が氷と雪の山を乗り越え、捕鯨基地に救助を依頼する。
島の反対側に残った3人は間もなく救助された。
8月30日 エレファント島の残り22名、全員無事救助された。
彼らの食糧や燃料はアザラシやペンギンだった。
後日談であるが、隊員は奇跡的に全員無事で帰国した。
しかし、その三ヵ月後、全員に戦争への召集がかかる。
時代は第1次大戦の最中であった。(僕は、戦争に行くのと探検とどちらかの選択を迫られたら、当時の屈強の若者は、どちらを選ぶかわからないと考える。政治家も戦争と同等の危険があるというのを承知していたから許可したのだろう。)
今、アーネスト・シャクルトンの評価が探検家としての実績ではなく、探検隊を率いたリーダーとしてのあり方の面で見直され始めている。
彼は、南極探検家ではあるが、設定した目標を一度も達成したことはなかった。
しかし、彼のリーダーぶりは、“Compassionate”-温かい-という言葉をつけられて、迷走する現代社会の経営者たちに受け入れられているという。
ナポレオンは、「リーダーとは、希望のディーラーだ」(A leader is a dealer in hope)と言っているが、シャクルトンは南極海漂流の事態の中でも、常に部下に希望を与え続け、最悪の設定状況の中で、全員生還という大事業を成し遂げている。
求む男子、至難の旅。わずかな報酬、極寒、暗黒の日々、絶えざる危険、生還の保障なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。
こんな、隊員募集を出しながら、彼のリーダーぶりは比類なく温かだった。
南極へいくならシャクルトンのようなリーダーについて行きたいね。やはり、全員生還がいいですネ。
南極探検の感想を一言。
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