吉備王国へのみち その9 造山古墳の基礎知識 

 造山古墳をより楽しむため、古墳の基礎知識を頭に入れてから散策することにした。

 古墳の基礎知識は、古墳に詳しい「造山古墳蘇生会」メンバーの会長をしている定廣さんからお聞きする。

 定廣さんは、構想13年目にしてついにセンター設立の夢を叶えたという熱い男で、子どもたちの間では、「造山古墳のものしり博士」として親しまれているベテランガイドである。

 定廣さんの説明が始まった。

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 「造山古墳ビジターセンターは、日本遺産に制定された「桃太郎伝説」の構成文化財である「造山古墳」をPRするのが目的の場所で、古墳を知ることは地域の歴史や土地の魅力を知ることにつながり、歴史に詳しくなくても豊かな風景や観光を兼ねて楽しんで、古墳を通じて郷土愛を育んでほしい。」と定廣さんは最初に話された。

 「造山古墳は大きさだけでいうと全国4位だが、墳丘に上がれる古墳としては日本最大で、日本の古墳の原点と言われる代表的な前方後円墳で、そのスケールから吉備国の豪族がいかに権力を持っていたかが分かる。」

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 そう教えてくれたのは、メンバーの渡邊さんで、一緒に写っているのは蘇生会の方々が作った円筒埴輪のレプリカである。

 「造山古墳ができたのは5世紀の初めで、古墳に使われている石は香川や九州から運んできたそうで、当時は基本的に人力なので舟で運ぶにしても大変な人手や労力が必要だったはずで、はるか昔の地域社会や人々の生き方に思いをはせると歴史がさらに味わい深いものになる。」

渡邊さんの話は続いていく。

 古墳には遺体を収める「石室・石棺」があり、時代により構造も変化しているが、あの丘の中にはどんな有力者が眠っているのか聞いてみた。

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 「葬られているのは吉備国の豪族という説が有力だが、古墳はまだ謎が多くて公には知られていない古墳の発掘調査も進められていて、すべてが分からないところがロマンである。」

 渡邊さんは、こう答えてくれた。

 有名な昔ばなし「桃太郎」の元祖といわれる「桃太郎伝説」のルーツは古代にさかのぼり、吉備国とヤマトの勢力争いが「吉備津彦命」と「温羅」の戦いとして語り継がれたと伝えられていて、桃太郎の物語と古墳はつながっていくのである。

 話を聞き終え、これから造山古墳の入口まで数分歩き、整備された石段から墳丘に上がっていくのである。

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 その前に、ビジターセンターの敷地内にちょっと気になる黄金色の銅像に立ち寄ったが、これは彫刻家・西平孝史氏作の「吉備の大王」である。

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 石碑の左横には、横穴式石室の中に建てる「石障」の復刻オブジェがあり、こちらも黄金像を手掛けた西平氏の作で、実際には見られない「浮き彫り」を鑑賞できるようにと制作されたものである。

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