3/1 今日から弥生です( ^)o(^ )
弥生と聞くと、石川啄木の恋の相手だった「橘智恵子」と、二人が勤務した「弥生小学校」を思い浮かべます。
弥生小学校は、函館山の右端の山裾の西部地区と呼ばれる地域にあり、啄木はこの地に建っていたこの小学校の前身である「弥生尋常小学校」に、明治40年6月12日から7月中旬まで1ケ月あまり出勤しました。
そこには女学校を卒業し、訓導として赴任したばかりの18歳の智恵子がいたのです。
啄木が単身で札幌移転の前日には、処女詩集「あこがれ」を携えて智恵子の下宿先を訪ねたり、彼が智恵子と2人きりで話をしたのは2度だけで、この「橘女史を訪ふて相語る二時間余」は、啄木自身にとってよほど強烈な印象を持って記憶されることとなったのです。
やがて、智恵子も函館を引き払い、実家のある札幌へと戻りますが、啄木も僅か2週間で小樽へと所在を移しました。
ただ啄木とっての札幌は、智恵子の生まれ育った場所ということで、特別の町だったのです。
石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
有名なこの歌に歌われた情景こそ、橘智恵子の実家であり、橘果樹園に咲く林檎の花でした。
脱線話ばかりで、申し訳ありません!(^^)!
弥生と聞いて、こんなことを書いてみました( ^)o(^ )
弥生小学校は、函館山の右端の山裾の西部地区と呼ばれる地域にあり、啄木はこの地に建っていたこの小学校の前身である「弥生尋常小学校」に、明治40年6月12日から7月中旬まで1ケ月あまり出勤しました。
そこには女学校を卒業し、訓導として赴任したばかりの18歳の智恵子がいたのです。
啄木が単身で札幌移転の前日には、処女詩集「あこがれ」を携えて智恵子の下宿先を訪ねたり、彼が智恵子と2人きりで話をしたのは2度だけで、この「橘女史を訪ふて相語る二時間余」は、啄木自身にとってよほど強烈な印象を持って記憶されることとなったのです。
やがて、智恵子も函館を引き払い、実家のある札幌へと戻りますが、啄木も僅か2週間で小樽へと所在を移しました。
ただ啄木とっての札幌は、智恵子の生まれ育った場所ということで、特別の町だったのです。
石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
有名なこの歌に歌われた情景こそ、橘智恵子の実家であり、橘果樹園に咲く林檎の花でした。
脱線話ばかりで、申し訳ありません!(^^)!
弥生と聞いて、こんなことを書いてみました( ^)o(^ )
この記事へのコメント