歴史穴埋め問題 

問題1

政治の安定と経済の発展を背景に、5代将軍綱吉(つなよし)の( 1 )時代が展開した。綱吉ははじめ堀田正俊(ほったまさとし)を大老に用いていたが、正俊が暗殺された後は側用人の( 2 )を用い、独断で政治を行うようになった。綱吉は学問を好み、儒者林信篤(鳳岡)(はやしのぶあつ(ほうこう))を大学頭(だいがくのかみ)に任命し、( 3 )を建てた。



問題2

家宣(いえのぶ)、家継(いえつぐ)2代の将軍を補佐し数年間に渡って文治政治を行ったのが、朱子学者( 4 )で、側用人間部詮房(まなべあきふさ)と協力して幕政の刷新にあたった。生類憐みの令を廃止して庶民の不満をやわらげ、裁判の公正をはかり、公家風の儀礼を取り入れ、( 5 )を創設するなど様々な政策を行った。また、貨幣を改鋳して正徳小判など良質の金銀に戻し、信用を高めた。さらに、長崎貿易では金銀の流出がおびただしかったので、1715(正徳5)年、( 6 )を発して、貿易額を制限した。この時代の政治を( 7 )という。



問題3

商人の間に同業者の組合を作って営業の独占をはかろうとする( 8 )ができた。なかでも大坂の( 9 )、江戸の( 10 )などは、商品流通の要となった。幕府は、18世紀以降になると、商業・手工業の支配や物価政策のため( 11 )・( 12 )という営業税を課した。

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