零下10度の世界への旅 中国編15 故宮探訪その3(珍宝館にて)

 紫禁城は明(漢民族)の三代皇帝である永楽帝が建造し明から清(女真族)に受け継がれた皇帝の居城。

 この女真族は、もともと中国東北部と朝鮮半島の北部が元居住地。

 ツングース系{歴史では女真()、扶余、高句麗渤海などの国を造り、狩猟・漁労、牧畜などを生業としていた。現在は、満州族シボ族オロチョン族エベンキ族ナナイ族【黒澤明監督の「デウスウザーラ」で有名な民族】などが該当民族。}の一民族。

北宋を滅ぼし、1115年に中国の北半分を支配する金を建国。
は中国の北半分を支配した後、モンゴルのに滅ぼされた。
 その元も、漢民族のに滅ぼされ、しばらくは漢民族の支配となる。

中国の覇権は、万里の長城の北から進入して来た狩猟・牧畜民族と中国のほぼ全域に居住して来た漢民族の間で、目まぐるしく変わる。

 1644年に、再び女真族は漢民族を破り、清の国を建国する。
 日本史でいえば、ほぼ江戸時代と明治時代にまたがって中国を支配した。

 この清の第六代皇帝乾隆帝である。


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              皇帝となった初年の乾隆帝 

 この乾隆帝の時代に、中国4000年の歴史の中で引き継がれた故宮(紫禁城)の宝物(文物)が整理・統合された。

 その宝物の大半は、清国崩壊後の戦乱の中で、蒋介石が台湾に持って行った。(ここには、大したものは残って無いが紫禁城そのものが一番の宝物ということになる。)

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 珍宝館の中は、こんな感じで、この展示ケースの中にこまごまとした宝物が展示されている。


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 これは、皇后用の冠で、ルビーなどの宝石類がちりばめられている。
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            これは、皇帝用の帽子

女真族の本姓は、狩猟・牧畜の民族で、モンゴル民族より幾分か洗練されている程度で、その文化程度は漢民族に比しかなり見劣りがし、その生活も野卑であった。

 ただ、18世紀の中頃に生きた乾隆帝の時代になると支配階級の女真族も漢民族の文化にもしだいに溶け込み度々江南の地に巡幸し民衆と交わった乾隆帝は、実は漢民族なんだという噂が最もらしく伝わったという。

 乾隆帝自身、十全老人と言われるほど武勇に優れ、清の版図を最大にした人物だが、その一方で、文人としても一流の人物で漢民族の風俗や文化を深く愛し、王義之の書を何よりも愛でた文化人でもあった。(王義之の書は漢民族の魂とまで言われた。)

 紫禁城で一番存在感のある皇帝が、この乾隆帝である。

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