探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その5 イキトスにて ピラルクー釣りにチャレンジ
右上の赤丸がイキトスです。その下の二つに分かれている川の、上がマラニョン川、下がウカヤリ川です。 ↑
イキトスは、ペルーの国土の60%を占める熱帯雨林のジャングルの中にポッンと築かれた、人口30万程の町である。
そこはもう、モンゴロイドの末裔の住むペルーの国であり、僕ら東洋人にとってはどこか懐かしい、故郷に来たような思いを呼び起こす町でもある。
イキトスの町です。↑
ここへは陸路でいくことができず、アクセスは船か飛行機のみである。
僕はマナウスからここまで飛行機を利用したが、アマゾン河口から3800kmも上流にある町である。
まだ河幅は5kmはあり、水は茶色く濁って、ゆるやかにジャングルを流れている
蛇行するアマゾン ↑
イキトスに最初に外国人が入ったのは1700年代半ば、スペイン人の宣教師が布教活動を始めるためだった。だが、原住民の抵抗に合って、活動は困難を極めたという。
ここもマナウスと同じ頃ゴム景気に湧いた町で、その頃、建てられた【CASA DEFIERRO】《鉄の家》がイキトスの中心のアルマス広場に残っている。
鉄の家 ↑
しかし、町には昔の面影はほとんど無く、現在この町を支えているのはジャングルツアーに代表される観光産業である。
「グレートジャーニーの旅」を2002年に完結させた探検家関野吉晴は、ペルーアマゾン源流の原住民の村での生活から学んだ体験を、「原住民の知恵」という文庫本にまとめた。
源流とまではいかないが、ジャングルで生活する裸族と会い、そしてアマゾン河の主とも言える巨大魚「ピラルクー」を釣るのが、ここでの僕の目的である。
イキトスはペルーアマゾン最初の町であり、周辺部には原住民の生活する村が点在している。
そのイキトスで、僕は先住民の村を訪れた。アマゾン裸族「ボーラ族」の住むサン・アンドレス村である。
彼らは普段は、高床式のこじんまりした家の中で民芸品を作っている。
村人と世間話をしているとサン・アンドレス港にボートが着いた。
村人全員、急いでそれまで着ていたTシャツを脱いで上半身裸になり、木の繊維でつくったスカートとパイチェ(ピラルクー)のうろこや鳥の羽でつくったアクセサリーを身につけ、顔に何本か線を描いた。
そしてダンスが始まった。隣と無駄話をしてのやる気のないダンスだが、白人の観光客団体は喜んでカメラのシャッターを切り、ビデオを回す。
ボーラ族のダンス ↑
民芸品を買い観光客が帰ると、彼らは服を着て、普段の生活に戻る。彼らは今はもう裸族ではなく、観光地に働く従業員なのである。
一番の仕事は、観光客の期待するボーラ族を演じる仕事で、2番目に民芸品を作る職人としての仕事がある。
狩猟採取の暮らしはもう今はここにはなく、文明という名の毒にたっぷり漬かった現代社会人の顔がそこにあった。
いよいよ次は、一億年前から生き続けている巨大魚「ピラルクー釣り」にチャレンジする。
ピラルクー ↑
アマゾンでピラニアの次に有名な魚と言えば、ピラルクーであろう。有鱗魚では世界最大で4m、200kgを越すものもあり、まさにアマゾン河の主である。
開高健をアマゾンに招待したブラジル在住の小説家醍醐麻沙夫は、その著「アマゾン・クライマックス-巨大魚ピラルクーへの旅-」の中で、「一億年前の悠久の太古から生息していたという地上最大の淡水魚ピラルクー、私はいつか、それを釣ってみたいという夢にとりつかれた…そして、ピラルクー釣り最後の旅を終えたあともいまだに私はピラルクーのことを思うと熱くなって、ランニングや腕立て伏せをしたり、特注さおやルアーの設計図をひいたり、果てしない空想に時をついやする。ピラルクーは、今も一生追い続けるだけの価値のある魚であることに変わりない」と書いている。
開高も醍醐も、ピラルクー釣りにチャレンジした。そして、ともに、いさぎよい敗北という結果になった。
僕は、イキトスから2日かけてアマゾン河の支流ウカヤリ川に入り、そこから2日かけてさらに支流のパカヤ川に入った。
ここは本当の意味で、手付かずのジャングルが残っており、生き物たちの楽園である。
僕は、現地人のカヌーに乗り込み、支流から更に水路に入り、その奥に広がる湖を目指した。
そこは、ワニもピラニアも相当数いる、典型的なこの辺りの湖だった。
僕らは息を潜め、ピラルクーが息をするために上がってくる瞬間を待った。それは気の遠くなるような時間のあとだった。
そして、その時が来た。
これは開高健の造ったピラルクー突きヤジリ参考モデルです。↑
僕はモリを放ち、ピラルクーは瞬間大きく跳ね上がった。しかし、モリは空しく水面をえぐっただけだった。
そして、もう二度とその場に、ピラルクーは現れなかった。 .
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