吉備王国へのみち その16 北門と近水園
屏風折れ石垣を出て、最後の門である北門に向かった。
屏風折れ石垣からは650mの距離にある。
北門は鬼ノ城の背面(北側)に位置し、裏門にあたり、規模は間口1間(4m)、奥行3間(9.6m)の8本柱で構成されており、門礎には角柱を使用し他の柱は全て丸柱という特異な組み合わせだった。
この写真は城内から撮影した復元前のもので、鬼ノ城・北門からの眺望は、他の3つの門と異なり、北側の山並みがメインとなる。
床面の石敷中央には、場内からの流水を排水するため、石組みの排水溝が構築されている。
この写真は城内から撮影した復元後のもので、北門は鬼ノ城西門や南門に較べ小規模だが、左右の城壁が扇のように展開していることや、城門の前に石垣を築いて谷筋からの進攻を防ぐなど、随所に防御効果を高めた工夫が認められる。
これも北門城内正面から撮影した復元後の写真で、鬼ノ城周囲の4つの門で唯一の排水溝が綺麗に修復されている。
ここから600m程あるいて、最初に見た角楼に辿り着き、ここで鬼ノ城一周を達成して山を下ったが、時間は午後3時半頃で、約4kmの道を1時間半ほどで周遊したことになる。
今日の日程の最後に、足守の近水園(おみずえん)に立ち寄ることにした。
この10.6kmの道を30分で足守の近水園まで走ったが、到着時間は午後4時になっていた。
近水園のある足守藩は、1601年(慶長六年)に、太閤秀吉の正室北政所(通称ねね)の兄であった播磨姫路城主木下家定が領地を備中に移され、二万五千石を領したことに始まる。
足守には明治以降急速に失われた貴重な城下町の風景が今もなお色濃く残されており、歴史的、文化的資料も多いため、県の町並み保存地区に指定されていて、木下利玄生家や緒方洪庵生誕地があり、何かと見どころの多い町だが、時間も時間なので近水園を見るに留めた。
近水園は旧足守藩主・木下家の庭園で、小堀遠州流と伝えられる池泉回遊式庭園の好例として知られている。
近水園の築庭時期は、記録からは定かではないが、6代藩主の木下公定(きんさだ)の時、18世紀初めと推定されていて、県下では岡山の後楽園・津山の衆楽園と並ぶ大名庭園である。
園内の池泉に浮かぶのは、藩主の長寿と繁栄を象徴する鶴島と亀島で、鶴島には木下家十四代当主利玄の歌碑が建てられている。
ざっと近水園を見て、20km程の道を40分ほどで走って、午後5時過ぎに宿泊ホテルに戻った。
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