吉備王国へのみち その18 備中松山城の城郭まで歩く
ふいご峠から約700mの山道を歩き備中松山城の城郭まで歩く。
これは、ネット借用したドローンによる城上空からの鳥瞰写真である。
城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。
海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがあり、この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われる。
江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。
現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。
備中松山城は城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されている。
そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存し、日本三大山城(備中松山城、岩村城、高取城)の一つとされている。
岩村城は信濃国から木ノ実峠を越えて三河国へ抜ける街道の要地にあり、標高約721mの日本最高地に築かれた山城である。
高取城は奈良盆地と吉野川に挟まれた標高583mの高取山山頂に築かれた山城で、南北朝時代にこの地を納めていた越智氏が1332年(元弘2・正慶1)に奈良と吉野を結ぶ要衝の芋が峠を監視するため築いたといわれている。
備中松山城への道はしっかりとした看板も設置されていて、わくわくしながら楽しく歩いて行ける道である。
途中で霧なんかにも遭遇し、ミステリアスな城への期待に胸が膨らんできた。
この記事へのコメント