中国編21 天安門と天安門広場
天安門下の長いトンネルのような出入り口を抜けると、前には天安門広場が広がる。
振り返って見上げる天安門は壮大で、北京へ来たんだなあという感慨で胸がいっぱいになる。
振り返って見上げる天安門は壮大で、北京へ来たんだなあという感慨で胸がいっぱいになる。
肖像画で描かれている毛沢東は、この天安門で1949年10月1日、中華人民共和国の建国を宣言した。
その時彼は、天安門の楼閣から天安門広場の人民に対して、「中華人民共和国、今天、成立了!!」と宣言したのだが、感極まり、周恩来が言葉を引き継いだ。
天安門広場から天安門を見ると、いっそうその壮大さが拡大されるようである。
天安門は指導者が立つ場であり、それに対置する人民の立つ場として、広大な広場が必要とされた。
天安門広場はもともと政治的な存在として誕生しており、1900年の義和団事件の際の攻防で建物が破壊され、通りが拡張されて、広場の原型が出来た。
現代中国の歴史の転換点となる大衆デモの拠点として、数多くの場面で使われた。
天安門広場は、東西500m、南北880m、面積は44万㎡、石畳1個に2人が立つとして、百万人の収容が可能な途方も無く広い広場である。
この写真の左手に中国国旗が見えるが、広場の朝は国旗の掲揚で始まる。
36名の人民解放軍の兵士によって儀式は行われ、30分ごとに衛兵の交代が行われる。
国歌の演奏とともに、その日の日の出に国旗は掲揚され、その日の日没に国旗は下降される。
広場の北よりに、人民英雄記念碑がある。
この碑の高さは37,94m、正面には毛沢東の筆になる文字「人民英雄永垂不朽」(人民英雄は永遠に不滅という意味)が金文字で書かれており、この裏に周恩来の碑文が書かれている。
台座の周りには、高さ2mのレリーフが10枚もはめ込まれていて、1839年の阿片戦争のヒーロー林則徐の阿片没収・廃棄から1949年の人民解放軍の長江渡河までの近代史の重要事件を描いている。
この広場に立つと、近代中国がどういう国であるか、体感出来る気持ちになる。
次回からは、北京の街歩きとなります。
では、しばしの再見(ザイジェン)。
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