奈良大和路散歩(2016年の旅) その20 飛鳥寺にて
甘樫の丘を降りて、いよいよ飛鳥路の只中へ突入する。

午前中に、イ;飛鳥寺、ロ;亀形石造物、ハ;酒船石、ニ;伝飛鳥板蓋宮跡、ホ;岡寺を自転車で快調に回った。

まず始めに、飛鳥寺に入った。
飛鳥寺は588年に蘇我馬子が創立した蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身の寺である。

飛鳥寺の伽藍は、塔(五重塔)を中心とし、その北に中金堂、塔の東西に東金堂・西金堂が建つ、1塔3金堂式伽藍であった。
これらの1塔3金堂を回廊が囲み、回廊の南正面に中門があった。講堂は回廊外の北側にあった。
四天王寺式伽藍配置では講堂の左右に回廊が取り付くのに対し、飛鳥寺では仏の空間である回廊内の聖域と、僧の研鑚や生活の場である講堂その他の建物を明確に区切っていたことが窺われる。

6世紀に日本に仏教が伝来すると、蘇我稲目はこれを信仰し、「西方の国々はみな仏教を信仰しております」と欽明天皇に勧め、稲目の子である馬子は百済・高句麗の最新の技術によって飛鳥寺を建立した。
渡来人の技術によって造営されたこの寺は日本の文化・技術の中心地となり、建築技術や伽藍配置などには百済・高句麗にあった寺院との類似性が見られ、朝鮮半島の影響を強く受けていたと考えられる。
飛鳥大仏を拝観するため、大仏が鎮座する講堂(元金堂)の中へ入った。
発掘調査の結果、現在の飛鳥寺講堂の建つ場所は馬子の建てた飛鳥寺中金堂の跡地であり、本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)は補修が甚だしいとはいえ、飛鳥時代と同じ場所に安置されていることが分かっている。

飛鳥寺の本尊は金銅像で、鞍作鳥(止利仏師)の作といわれる日本最古の仏像である。
日本を中国や朝鮮半島などの先進地域と並ぶ文明国にするために、国の命運を賭けて百済寺を造営した蘇我馬子の気概が、本尊のあたりから伝わってくるようである。
一説では、本尊は蘇我馬子がモデルとのことである。
続いて、飛鳥寺の裏手にある蘇我入鹿首塚に行った。

朝鮮三国の使者を迎えるために早朝から高位高官たちが集まっていた当時の宮殿のあった「飛鳥板蓋宮」で、皇極天皇の目の前で中大兄皇子、中臣鎌足らにより蘇我入鹿は暗殺され、入鹿の首はここまで飛んできたと伝えられている。
この「乙巳の変」と呼ばれるクーデターの後に蘇我氏(蘇我本宗家)は滅び、政変後に一連の政治改革である「大化の改新」が中大兄皇子等の手によって行われた。
このあたりのことは「飛鳥板蓋宮」跡でふれることにして、飛鳥寺とこの辺で別れることとする。
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