探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その4 ハンニバル

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 トムソーヤの冒険の舞台―ピーターズバーグ。


 ミズーリ州ハンニバルは、そのモデルとなった町と言われている。


 ハンニバルは「トムソーヤの冒険」の作者サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(マークトウェインの本名 1835-1910)の少年期住んでいた町。


 サミュエルが4歳の時、クレメンズ一家は1839年に近くのフロリダという町から引っ越してきた。

 彼はここで少年時代を過ごした。


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 ハンニバルはミシシッピの流れに沿った美しい小さな村で河岸に近い彼らの家は、村の北端にあるカーディフの丘へも船着場へも少年の足で7~8分の距離しかなかった。


 最初の住人はミズーリインディアン。記録の上では1673年にフランス人の探検家親子がこの場所を確認、1680年にフランスの僧がはじめてこの地におちついた。


 町の名前はハンニバルクリーク(川)(現在はベアクリーク)から命名された。


 ハンニバルは歴史上有名なカタロニアの将軍(しょうぐん)の名前。

 ハンニバルの町は1819年に設立され、1830年には人口が30人だけだった。


 1845年に市になり1850年には人口2020人に成長した。

 初期の産業は畜産、せっけん、ろうそく、製材、製粉など、丸太は上流のウィスコンシンとミネソタから運ばれた。


 当時、蒸気船はセントルイスやケオククから毎日到着した。


 現在の人口約18,000人。この町は今でも、トムとハックの世界そのままの町である。


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トムとハックの記念碑(THE TOM & HUCK STATUE)

    カーディフの丘のふもとにトムとハックの等身大の像がある。Frederick Hibbard 作


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       マークトウェインの冒険船(MISSISSIPPI RIVERBOAT MARK TWAIN) 「トムソーヤーの冒険」の筋に沿ってのミシシッピ河クルーズ。物語に出てきたような風景に会える。






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  マークトウェインの少年時代の家(MARK TWAIN BOYHOOD HOME)



 1843年、サミュエルの父ジョン・クレメンズによって建てられた2階建ての木造建築。

 貧しかった一家はその3年後に家を手放さなければならない運命になったが、父親の死後再び住むようになった。

 現在では、サミュエル少年が7~18歳まで住んでいた当時のまま、装飾(そうしょく)や家具が配置されている


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    ベッキーサッチャーの家(BECKY THATCHER HOME)



 ベッキーサッチャーの家は、ローラことアニー・ローリー・ホーキンズの住居だったところで、トウェイン家の向かいにある。

 ローラは「トムソーヤの冒険」のベッキーのモデルで初恋の相手だった。


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     蒸気船の時代のミシシッピ川


 蒸気船が発明されミシシッピー河にあらわれたのは1812年頃。

 それまではキール船という帆かけ舟のようなものでニューオリンズ~セントルイス間をおよそ2週間かけて運行していた。


 蒸気船の登場により約1週間に縮めた。


 1850年ごろ最盛期(さいせいき)をむかえたが、鉄道の登場により所要時間を2、3日に縮めた。

 さらに1861年の南北戦争勃発(ぼっぱつ)によって、ほとんどの船が運休・廃業(はいぎょう)においこまれた。


 当時走っていた主な船名をあげてみると、エクリプス号、A・L・ショットウェル号、F・M・ホワイト号、R・E・リー号,エンタプライズ号、オーリンズ号、コメット号、ワシントン号、ナチェズ号、ミズーリ号、ペンシルバニア号、サニーハウス号、ポールジョーンズ号、ヘンリ・ブレイク号、ジョージエリオット号、アレック・スコット号、グランド・ターク号、グレート・リパブリック号、バルトンルージュ号など、これはほんの一部。


 この頃、快速で名高い2席の船でレースがしばしばおこなわれた。

 このときばかりは(川沿いの村々に住む人達など)全国のひとがこのレースの話題でもちきりになりとても熱狂した。

 これに勝つために装備(そうび)を軽くしたり、減量をした船長もいたとか…


 参考記録

F・M・ホワイト号         

1844年 3日6時間44分

エクリプス号

1853年 3日3時間20分

R・E・リー号

1870年 3日1時間


 これはニューオリンズ~セントルイス間のタイム。

 1844年では川の距離1106マイルだったのが1853年では1080マイル、1870年には1030マイルとなっている。

 これはショートカットなど流れの変化や工事による。

 なので計算をすると一番はやいのはエクリプス号か。




 今回のヒーロー「マークトウェイン」


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 1935年11月30日、サミュエル・ラングホーン・クレメンズは、ミズーリ州の人口百人くらいの小村フロリダに、父ジョン・マーシャルと母ジェイン・ランプトンの第六子として生まれた。

 白人である。


 父はバージニア出身で、テネシー州から移ってきたが、弁護士のかたわら、雑貨店を経営した。

 母はケンタッキー生まれの快活な女性で、トウェインに強い影響を与えた。


 マークトウェインは若い頃、アマゾン探検に向かおうと河を下ったが、途中でそれが無理だとわかり、かわりに乗っていた船の見習にしてもらうことになった。

 その後蒸気船のパイロット免許をとった。


 マークトウェインというペンネームは蒸気船が安全に進める川の深さの2尋(ひろ)(=約3.6メートル)のことで「水深2尋!(マークトウェイン!)」と叫ぶことからきている。


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  彼は、旅行中に同船していたチャールズ・ラングドン少年の持っていた姉オリビアの小画像を見て理想の女性を知ったと思い、のちに求婚した。

 美人だね。


 その後、ミシシッピ川を舞台にしたトムやハックの出てくる小説を次々発表、小説家としての確固たる地位を築いた。


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 彼の執筆の地は、ミシシッピから遠く離れたコネティカット州ハートフォードだった。

 彼はここで、家族と幸せな生活を送りながら、少年の日の冒険を物語りにした。


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 1910年、自身の予言どおり、前夜あらわれたハレー彗星とともに、七十五年の生涯を終えた。





 マークトウェインのほんとに元気が出る言葉集



お金を儲けなさい。そうすれば全世界が声を揃えて君を紳士と呼ぶだろう。


正直者は政治の世界において、他の誰よりも光り輝く。


恋愛は狂気だ。邪魔が入ると速く育つ。


もしみんなが自分自身に満足していたら、英雄など存在しないだろう。


元気になる一番の方法は他の誰かを元気づけてあげることだよ。


他人の習慣ほど、変えたくなるものはない。


もし、愛が欲しいなら、頭ではなく心を使いなさい。


忙しいことが人間の唯一の幸福だ。


お好きな道を選びなさい。

曲がりくねった道は常に、先に行けば素晴らしいことが待ち受けていると思わせます。

一方、まっすぐな道は、一目ですべてが見渡せるため、興味が続きません。

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