吉備王国へのみち その21 備中松山城の天守を歩く

 これから天守の中に入って、どのようになっているかを見ていく。

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 ここは平櫓と天守を繋ぐ渡り廊下で、一番向こうに開いている入口から入って、左手隅の階段梯子から天守1階に入っていく。

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 階段を上がって1階に入ると、そこには16畳の大広間が広がっている。

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 その奥には、お城の建築物では珍しく、囲炉裏が掘られている。

 これは戦国時代にこの地が山陽と山陰を結び、東西の主要街道の交差する要地として、城の激しい争奪戦が幾度も繰り返された結果として生まれたものと言われている。

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 また左手には、一段高いところに、隠し部屋のようなものがある。


 ここは、籠城時には城主一家の居室となる装束の間である。
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 この階段を上って、これから最上階の2階に進む。


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 ここが天守2階であるが、曲がった大木を組み合わせた梁や太い柱の組み合わせが豪快で、奥の部屋は祭壇になっていて、城の守護神として三振りの宝剣が奉納されていたという。

 山上に築かれたこの城には城主が居住していたが、政務を行う御殿のような建物はない。

 有事の時には藩主の御座所となるために、実用的に造られている。



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 その一方で、漆喰の塗られた土壁は10cmしかなく、とうてい実践に耐えられるものではないが、それはこの城が建てられたのが関ヶ原の戦いから80年も過ぎた太平の時代に建てられたものだからである。
 このくらいで、現存12天守の一つである備中松山城とお別れすることにする。

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