中国編24 天壇(天を皇帝が祀る場)へ・・・

 天壇は故宮の南に造られている。
 
 「天壇へ行くには、出来れば晴天の朝がよい。
 人が少なくて印象が鮮明だからである。」
「北京‐都市の記憶」;岩波新書に書いたのは東アジア地域史専攻の作家「春名徹」氏である。

 今回の旅で、僕はこの
「北京‐都市の記憶」と、司馬遼太郎、陳舜臣、金達寿の共著「歴史の交差路にて」教科書参考書として持参した。

 実際のところ、現場の中国ではほとんど役にたたなかったが、日本に帰ってきて、写真という記憶媒体だけでは不確かな部分を、日記作成にあたり、この教科書で補った。

 春名氏は嵐の吹きぬけた11月の晴天の朝に天壇を訪問したが、僕らが訪問したのは、1月の晴天の日の午後3時を過ぎた頃だった。

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 僕らは東門から、今は公園となっている天壇へ入った。
 入る前から賑やかな音楽が聞こえ、入ってみるとその原因がわかった。

 ここは、既に職場を退職された年配の方々の遊びの場となっていた。

 踊りの輪が出来ており、地元中国の方々の他にも、飛び入り参加で踊っておられる方が沢山いた。

 金妙珍も早速踊りの輪の中に入って、プロ並の踊りを披露していた。

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 また、別のおじいさん達は、薄い金属を直径4cm位に切ったものを数枚重ね、底に丸いゴムをつけ、白い羽をつけたもので、けまり遊に興じていた。

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  さらに、天を祭る際に犠牲となる動物を準備する「宰牲亭」から天壇の中心となる祈念殿へ向かう途中の72廊坊では、美しいコーラスが響いていた。 

 今やこの天壇は、市民の憩いの場となっているのが 良く理解出来た。

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