中国編25 天壇に上がり、そこに入る
天壇は皇帝が天を祀る場所であるが、北京にはこの他、地の神を祀る地壇、太陽神を祀る日壇、月の神を祀る月壇があり、それぞれ今は公園となって大勢の市民の憩いの場となっている。
紫禁城を囲んで、南に天壇、北に地壇、東に日壇、西に月壇の配置である。
明清の皇帝達は、季節毎の祭儀に、それぞれの神に動物の生け贄(イケニエ)などを捧げ、人々を支配する側の総大将として、中華の繁栄や農作物の豊作を祈念した。
紫禁城を囲んで、南に天壇、北に地壇、東に日壇、西に月壇の配置である。
明清の皇帝達は、季節毎の祭儀に、それぞれの神に動物の生け贄(イケニエ)などを捧げ、人々を支配する側の総大将として、中華の繁栄や農作物の豊作を祈念した。
長廊から祈念殿を見上げると、気分が高揚し、神聖な気分になる。
天壇の中心的な建物は、祈念殿と円丘だが、今回は円丘は行かなかった。(少々、心残りではあった。)
祈念殿は、地をかたどった四角い敷地に、天をかたどった円形の建物を置いたもの。
この建物は乾隆帝時代の建築を原型としているが、光緒帝時代(1889年)に消失し、再建されたもの。
明清代の皇帝たちは、立春の日にここで動物達を生け贄として捧げ、天の神に五穀豊穣を願った。
祈念殿の中に入ると、中は吹き抜けで、四季を意味する4本の赤い柱が眼に入る。
4本の柱の外側には12本の柱が立っており、これは12カ月を意味している。
祈念殿は、民衆を支配する皇帝の儀式のために造られた特別の建物であり、民衆とはかけ離れた、むしろ神に近い権力を持った特権的な者が、神の威光を受け民衆を支配するという構図を実体化させた建物でもあった。
その皇帝たちのための建物が、今はいずれも公園となっている。
金妙珍が終始バスの中で、「私達中国人は贅沢を求めているのではない。今の中国人は、生きることを楽しむために生きている。」と言っていた。
それが中国人の現実なのだろう。
ようやく、生活を楽しむことが出来るようになったのだ。
僕は田中角栄ではないが、日本と隣国の大国中国とはやはり友好的な姿勢をこれからも持ち続けて行ってもらいたいと願っている。
中国大陸や朝鮮半島は、島国日本とは良いにしろ悪いにしろ、切っても切れない縁で繋がっている。
胡同で話しを聞いた、ものやさしい考古学者の顔が、祈念殿から故宮を遠望した際に浮かんだ。
それはすぐに、ここで憩うお年寄り達の顔に、重なり、消えて行った。
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