吉備王国へのみち その23 紺屋川美観地区
高梁市郷土資料館の次に、紺屋川美観地区まで行った。
ここはJR伯備線「備中高梁駅」から徒歩約15分の場所で、かつて備中松山城の外堀の役割を果たしていた紺屋川の川沿いに美しい桜と柳並木が続いていて、「日本の道100選」にも選定されている。
桜の季節には夜にボンボリ点灯が行われて観光客も多く訪れ、県下最古の教会「高梁キリスト教会堂」や、備中国奉行小堀遠州によって造られた「頼久寺庭園」など、歴史情緒豊かな街並みが広がっている。
ここで最初に、高梁キリスト教会堂を見学した。
高梁基督教会堂は、岡山県高梁市の紺屋川美観地区にある旧組合教会系の日本基督教団の教会堂である。
1889年に建てられた現存する岡山県下最古の教会堂で、岡山県の史跡に指定されている。
ここから、高梁市のキリスト教の歴史を見ていく。
1879年10月から岡山市から金森通倫や中川横太郎らが週一回来て、定期的に風俗改良の面からキリスト教伝道を行った。
さらに、西洋文化の流入や近代化を目指す人々によって高梁市での布教活動が始まり、1880年に新島襄が宣教師オーティス・ケーリと一緒に伝道に来ていて、新島が高梁を訪れたことで急速にキリスト教が広まった。
1881年に講義所を開設し、同年3月には教会設立のための会が開かれ、1882年4月26日、上代知新を牧師に迎え教会が正式に発足し、設立式を行った。
また、アメリカン・ボードの宣教医ジョン・カッティング・ベリーが伝道所を兼ねて施療所を開設したことで、地域の教育のみならず、医療などにも影響を与えた。
しかし、一方で投石を受けるなどの事件もあり、教会に投げ込まれた「迫害石」が現在も残されている。
1889年(明治22年)、西洋建築家の吉田伊平によって現在の建物が設計・建築された。
次に、頼久寺に行った。
頼久寺は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つで、その中にある国指定名勝の庭園は、備中国奉行・小堀遠州の初期の作庭で(1605年頃)、禅院式枯山水蓬莱庭園である。
俗に「鶴亀の庭」と呼ばれる天下の名園で、はるかに望む愛宕山を借景に、砂の波紋で海洋の感じを出し、中鶴亀二島の蓬莱石組、鶴島の三尊石組を配し、さらに、大海の波のあらわすサツキの大刈込みで背景を整えていて、この豪華な大刈込みは遠州独特のものである。
高梁キリスト教会堂や頼久寺庭園を見ている間に、吹屋へ行くバス時間が迫って来たので、急いで備中高梁駅まで戻った。
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