探険家の歴史 第2部 長江の旅 プロローグ

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 今から800万年ほど前、地球の地殻変動が激しくなり、エチオピアからタンザニアまで走っている、世界最大の大地溝帯(グレート・リフト・バレー)が生まれた。


 大地溝帯の東側は上昇、西側は沈下して巨大な壁が出来た。西側から吹いてくる湿った風がもたらす雨は、壁を乗り越えられず、全部西側に雨をもたらした。すると東側のケニア、タンザニア、エチオピアは逆に乾燥してくる。


 こうして、東側に取り残された人とチンパンジーの先祖の中から二本足で歩行するものが現れ、人類(原人)へと進化した。


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 西側の湿った地域に取り残されたものは現在のチンパンジーの生活に適応した。


 アフリカの東側で生まれた原人の地球各地への拡散が始ったのは、今から300万年前のこと。この話はイーストサイドストーリーと呼ばれている。


 ここ、中国にも、そのイーストサイドストーリーから派生したグレートジャーニー(人類拡散の旅)の波は伝わった。


 元謀原人は[中華人民共和国][雲南省]元謀で発見された中国最古の人類である。発見された2本の人の上顎門歯を古磁気測定により調査、およそ170万年前のものと判明。同時に[火]の使用の痕跡が発見された。


 藍田原人(らんでんげんじん)は、[中華人民共和国][陝西省]で発見された人類である。


 陝西省南部、[漢中]に近い険しい[秦嶺山脈]の山中、藍田県の公王嶺遺跡と陳家窩遺跡によって構成される藍田遺跡から、人の頭蓋骨と下顎骨が発見された。


 頭蓋骨は推定800cc程度の脳容量の平均的な原人の化石、この化石は推定およそ100万年前のもの。


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  北京原人の最初の頭蓋骨発見の場所  ↑


 北京原人(ぺきんげんじん)【学名:Homo erectus pekinensis、ホモ(属)・エレクトス(種)・ペキネンシス(亜種)とは、中国北京の北東、房山県周口店竜骨山の森林で発見したホモ・エレクトスの一種である。30万年前くらいの原人。


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      周口店遺址博物館         ↑


 原人たちの後に旧人と呼ばれるネアンデルタール人(彼等は雪男や各地の巨人伝説のモデルとも言われている。)が出現するが、彼等はわれわれ新人の祖先ではない。旧人と新人は原人から別れた枝葉のようなもの。


 新人はやはり、20万年程前にアフリカから生まれた。原人と同様のイーストサイドストーリを経て、世界中に拡散していく。


 DNA解析の進歩で進化の足跡を辿れるようになり、ミトコンドリアDNAで人類の拡散を追いかけていくと、アフリカの一女性に行き着くというミトコンドリアイブ説により、アフリカに新人が生まれたことは、現在定説となっている。しかし、何故、新人の出現がアフリカなのかは、依然として謎のままである。


 その、新人類の作った文明が、中国でも生まれた。中国の両大河のもとで生まれた、長江文明と黄河文明である。


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  安田 喜憲氏、彼はレバノンで関野吉晴の冒険の旅にも登場した。 ↑   



 長江文明の存在を初めて日本で提唱したのが安田喜憲、環境考古学という学問ジャンルをリードする考古学者であり、今現在僕が最も注目する最先端を行く学者の一人、今回のヒーローである。

 僕は当分、このおじさんの理論と行動を応援していきたい。僕は彼の、今現在は、かなりのファンだよ。ファンクラブ作ろうかな。


 彼は、長江流域の4500年前の龍馬古城宝墩遺跡を調査したことにより、稲作を背景とした長江文明の存在を考えるようになった。


 さらに1997年から長江中流域・湖南省の城頭山遺跡の調査を行い、灌漑設備をもった水田、円形の城壁などを発掘した。すでに6500年前に、稲作を中心とした文明が発祥していたことは間違いなく、始めは猛反発していた中国の考古学者もようやく、長江に文明があったことを認めるようになった。

   

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          長江文明の花、稲の花です。 ↑





 文明というのは、インダス、エジプト、メソポタミア、黄河の四大文明が発祥の地で、いずれも畑作牧畜をベースとして、パンやミルク、肉を主食とした小麦文明であると考えられてきた。


 四大文明の風土は、いずれも乾いていることに特徴がある。そのため、森や湿地帯のある、じめじめした風土からは文明は生まれてくるはずがないと思われていた。


 その定説に彼はチャレンジしたのである。


 世界四大文明の定説にチャレンジした彼の学問も面白いが、提唱する文明の考え方はもっと興味深い。


 彼は、人類には2つの文明があると考えている。ひとつは、文字、金属器、都市、城壁をもった畑作牧畜系の文明。文字が生まれたのは税金を徴収するためであり、金属器はやがて武器として発展する。


 もうひとつの文明は文字や金属器を持たない、深い森に囲まれて生活していた、稲作漁撈系の文明。日本の古代の文明も、マヤ文明も、そしてインカ文明も、この森の文明。


 畑作牧畜民の理想郷は、ユートピア。彼方にある理想の地を求めて、彼らはさまよい歩く。それは大航海時代のヨーロッパの姿を典型とする拡大の思想によるもの。常に拡散し拡大しながら、ユートピアを追い求める。


 これに対して、稲作漁撈民の理想郷は桃源郷。漁師が川をさかのぼって、トンネルをくぐると、そこはモモの花咲く桃源郷。桃源郷はごく小さな空間で、時間も円環となって永遠に続くかと思われる。春に芽が出て、若葉になり、秋には木の実がなり……森とともに生き、森とともに一生を終える。


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 森の民はアニミズムを信じ、木、草、花、自然のあらゆるものに価値を置いた、心の受容性の高い生き方をしながら桃源郷を追い求める。



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 ヨーロッパ人による拡大の思想が、現在の世界的な環境破壊を招く主要因であることは間違いない。


 環境考古学者の言葉に耳を傾けながら、現代社会の本質とその行く末を僕なりに考えるいい機会として、この長江の旅をスタートしたいね。



 今日は、紹興酒で乾杯だ。(呉越同舟の故事で有名な越の都のあったとこが紹興だよ。)


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 上海蟹の残りで、やってます。


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 次回は上海からです。ではまた。

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