釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第26回はロシア
レニングラード到着は9月23日(日)午後11時過ぎ、たぶんホテル到着は午前となって9月24日(月)となったものと思われる。
僕らのツアーは、新潟-ハバロフスク-タシケント-トビリシ-エレバン-ヤルタ-キエフと旅を進め、とうとう北欧フィンランド湾に立地する、かってのロシア帝国の首都であるレニングラード(サンクトペテルブルグ)に到着した。
JTBの日程表を見ると、9月24日(月)はレニングラード市内観光とネバ川、ネフスキー大通り、旧海軍省、デカプリスト広場、聖イサク寺院、ペトロパブロフスク要塞などが観光地に挙げられていた。
レニングラードの1泊2日の日程は、あくまでも推測だが、1日目午前がネバ川、ネフスキー大通り、旧海軍省、デカプリスト広場、聖イサク寺院、ペトロパブロフスク要塞のバスでの大雑把な観光、午後から30km程離れたピヨートル宮殿に出かけた。
夜は地下鉄に乗ってレニングラードの夜景見学をしたようである。
2日目は午前中をエルミタージュ美術館で過ごし、午後は出発まで買い物とか市内見物で過ごしたのだろう。
観光バスでのレニングラード市街地回り、そのスタート地点のネヴァ川河口付近で、透き通るような肌をしたロシア美人を発見したので、思わずシャッターを押した。
彼女の視線とマトモに向き合って、ドキッとしたのを今でも覚えている( ^)o(^ )。
次にオーロラ号を遠くから見学した。
オーロラ号は旧バルチック艦隊の新鋭巡洋艦で、日露戦争の日本海海戦にも参加した6000トンの三本煙突の船で、ロシア革命(十月革命)の始まりの空砲を発射した巡洋艦として特に有名。
市中心部に運河が縦横に巡るレニングラードの美しい街並みは、それ自体が文化遺産であり歴史遺産でもあるが、運河にかかる橋のたもとのオベリスクの前でりっぱなひげを生やしているロシアの公務のおじさんと記念写真を撮った思い出も残っている。
午後からはサンクトペテルブルクから西に約30km離れたフィンランド湾南岸に位置するペテルゴフの「夏の宮殿」を見学した。
夏宮からレニングラードに帰った僕らは、夕食までの時間をホテル(例によって、泊ったホテルの名が調べられなかった。)の前の公園で、ここに住む少年や少女と遊んだり会話したりして過ごした。
ツアー最高齢でのご夫婦で参加された東京都渋谷区のおばあちゃんは公園のベンチでレニングラードの休日を満喫されたご様子だった。
僕等若者もロシアの少年と一緒にこのベンチに据わって、おばあちゃから幸せの御裾分けをもらった。
このおばあちゃんは今生きておられれば120歳に近い年齢となっていて、ロシアの少年も今は50歳半ばくらいのはずである。
ホテルの前の通りでは、レニングラードの少女たちがボールで遊んでいた。
可愛い少女たちだったので、しばらく彼女たちの遊びと動きに見とれて、そこに立ち止まっていた。
そのうちにボールが的を外れて転がって、遊びが中断した。
中断中にかこつけ、彼女達と記念撮影会となった。
この少女たちがそれからどういう人生を過ごしたか、この5人の中の一人の人生すら僕は知らない。
その夜、 僕等ツアー一行はJTBの添乗員に地下鉄の乗り方を教えてもらい、上手に乗れたので全員褒められたのを覚えている。
彼も今頃は80歳をとうに過ぎているはずである。
レニングラードの2日目は、午前中をエルミタージュ、午後からは買い物や自由行動で過ごした。
ここでの写真撮影は禁止となっていたが、印象派の画家ゴーギャン(タヒチの女で有名)の「果実を持つ女」を1枚だけ盗撮した。(いい思い出になった。)
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