九州散歩Ⅰ その28 平戸城を目指す
ここで、平戸で司馬さんがたどった道を紹介する。
司馬さんは平戸口からフェリーで平戸島に渡り、平戸城、オランダ商館跡、ザビエルの碑、松浦史料博物館、印山寺屋敷跡、三浦按針埋骨碑などをめぐり、大航海時代のオランダや英国、ポルトガルについて考察する。
そして、再びフェリーで平戸口へ戻り、佐世保に宿泊したのである。
僕の旅は平戸で一泊する計画で、司馬さんと同様に大航海時代のオランダや英国、ポルトガルについて考察しながら、東アジアの貿易拠点だった平戸の往時の面影を楽しんでみたい。
平戸観光案内所で、1000円で電動レンタサイクルを借り、最初に平戸城を目指して出発した。
平戸城までの距離は1.5km、標高は43m程なので電動レンタサイクルが威力を発揮して、10分もかからないで平戸城に到着した。
平戸城は平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。
平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。
三方を海に囲まれ天然の堀として、丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。
城の歴史・沿革だが、下松浦党(平戸氏・峯氏とも)の棟梁である松浦鎮信(法印)は豊臣秀吉の九州平定に加わり、壱岐守護を称する波多氏に代わり松浦郡(ただし一円ではない)と壱岐一国の所領を安堵された。
松浦党で最大の大名となった事により、以降は松浦姓を名乗ったとされている。
文禄・慶長の役の後、慶長4年(1599年)に現在の城地である日之嶽に最初の築城を開始した(現・平戸市岩の上町)。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの頃、徳川家康からの嫌疑を晴らすため、城の一部を破却したと伝わる。
完成も間近となった慶長18年(1613年)、火災により大半を焼失した。
自ら火を放ち城を破却したとも言われているが、理由としては、豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためとも、最愛の嗣子久信の死によるものともいわれている。
火災後、藩は再建をせず、平戸港を挟んだ北側(現・平戸市鏡川町)に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁とした。

ここには明治時代には旧藩主松浦氏の私邸が築かれ、現在は松浦史料博物館となっている。
このことにより、国主それも肥前と壱岐にまたがる二国支配でありながら、平戸藩は城を持たない、いわゆる陣屋大名であった。
松浦鎮信については後ほど改めて紹介することとして、まず平戸城に入ってみることにする。
司馬さんは平戸口からフェリーで平戸島に渡り、平戸城、オランダ商館跡、ザビエルの碑、松浦史料博物館、印山寺屋敷跡、三浦按針埋骨碑などをめぐり、大航海時代のオランダや英国、ポルトガルについて考察する。
そして、再びフェリーで平戸口へ戻り、佐世保に宿泊したのである。
僕の旅は平戸で一泊する計画で、司馬さんと同様に大航海時代のオランダや英国、ポルトガルについて考察しながら、東アジアの貿易拠点だった平戸の往時の面影を楽しんでみたい。
平戸観光案内所で、1000円で電動レンタサイクルを借り、最初に平戸城を目指して出発した。
平戸城までの距離は1.5km、標高は43m程なので電動レンタサイクルが威力を発揮して、10分もかからないで平戸城に到着した。
平戸城は平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。
平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。
三方を海に囲まれ天然の堀として、丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。
城の歴史・沿革だが、下松浦党(平戸氏・峯氏とも)の棟梁である松浦鎮信(法印)は豊臣秀吉の九州平定に加わり、壱岐守護を称する波多氏に代わり松浦郡(ただし一円ではない)と壱岐一国の所領を安堵された。
松浦党で最大の大名となった事により、以降は松浦姓を名乗ったとされている。
文禄・慶長の役の後、慶長4年(1599年)に現在の城地である日之嶽に最初の築城を開始した(現・平戸市岩の上町)。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの頃、徳川家康からの嫌疑を晴らすため、城の一部を破却したと伝わる。
完成も間近となった慶長18年(1613年)、火災により大半を焼失した。
自ら火を放ち城を破却したとも言われているが、理由としては、豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためとも、最愛の嗣子久信の死によるものともいわれている。
火災後、藩は再建をせず、平戸港を挟んだ北側(現・平戸市鏡川町)に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁とした。

ここには明治時代には旧藩主松浦氏の私邸が築かれ、現在は松浦史料博物館となっている。
このことにより、国主それも肥前と壱岐にまたがる二国支配でありながら、平戸藩は城を持たない、いわゆる陣屋大名であった。
松浦鎮信については後ほど改めて紹介することとして、まず平戸城に入ってみることにする。
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