吉備王国へのみち その29 船溜まりまで歩く 

 まず、⑤の最一稲荷である。

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 由来記によると、北側の山に居た老狐が明治4年に社のあるところで天寿を迎えたが、霊狐は神の如くひとの願いをかなえ、多くの人々が訪れるようになり、明治7年に京都の伏見稲荷から神璽を賜ったと云われている。

 ここで財布の小銭を入れ、旅の無事を祈った。

 次は、⑥の街角ミュゼ牛窓文化館である。

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 この建物は、大正4年に牛窓銀行本店として建てられ、後に中國銀行牛窓支店として昭和55年まで使われていた。

 外観は煉瓦張りの2階建であるが、内部は吹き抜けで壁は漆喰、約10m四方の平面で、敷地内には古い金庫が残る土蔵もある。

 現在は国の登録文化財に指定され、しおまち唐琴通りを散策する人を癒し、通りの文化を紹介する館となっている。

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 入口ドアは開いているので、勝手に入って館内を見学することができる。

 板が張られた床や高い天井が特徴の、外観から想像もできないくらい館内は落ち着いた雰囲気となっていて、こんな貴重な建物がここ牛窓には残っているのである。

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 館内には古い写真も展示され、昔の牛窓の姿を拝見できる場所でもある。

 街角ミュゼ牛窓文化館を出て、⑦の船溜まりと本町の街並みまで歩いた。

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 地図上では、このあたりから本町となっている。

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 如何にも典型的な路地裏の風景も残っている。

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 牛窓の町は古い建物がいたるところに残っていて、いつまでも歩いていたい、想像以上に素晴らしい町である。

 ここが⑦の船溜まりである。

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 ここは江戸時代には岡山藩の施設が立ち並んだ地域で、藩主の接待場であり宿館であったお茶屋、牛窓港を管理していた港在番所、足軽長屋、番所が続いていたのである。

 明治時代からは主に漁師が多く住み、浦には今でも漁船が並び、網が干されている。

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