2012年に旅したオホーツク街道の続き その29 摩周駅まで
これから標茶駅を目指すが、塘路駅から標茶駅までの距離は22km、時間にして30分弱である。
標茶町は北海道釧路総合振興局管内の川上郡にあり、町名の由来はアイヌ語の「シペッチャ」(大きな川のほとり)からで、主に富山県や長野県から満州へ移住した満蒙開拓団の引揚者が戦後多数移住した地である。
標茶駅には午前10時頃に到着した。
標茶町は歴史のある町である。
金子遺跡や二ツ山遺跡、茅沼遺跡をはじめ、先史時代の遺跡が200以上確認されており、古くより人が暮らしていたことが分かっており、その子孫が現在のアイヌ民族と考えられる。
江戸時代にはトウロ(塘路)やニシベツ(虹別)などにアイヌが集落を形成して暮らしていたことが、松浦武四郎などの記録に残されている。
1885年に網走刑務所の前身である釧路集治監が開設されると、郡役場や戸長役場、日本銀行の出張所も設置され、一時期は釧路に匹敵する規模の町となった。
服役する囚人は最盛期で2,000人近くに上り、釧路-網走間の道路の建設、釧路鉄道の建設、川湯のアトサヌプリ(硫黄山)での硫黄の採掘などの役にあたった。
1887年には硫黄山の硫黄の輸送のため、標茶-硫黄山間に北海道で二番目の鉄道が建設され、硫黄は 標茶で積み替え、釧路までは水運で運ばれた。
硫黄は乱掘したため資源が枯渇し、採掘は9年足らずで廃止され、釧路集治監も1901年には廃止され、機能は網走分監に移された。
標茶駅で小休止して、ここから車で20分ほどかけて多和平へ行った。
多和平は標茶町多和にある標高195.2mの丘で、丘の頂上には給水中継ポンプと展望台があり、周囲360度の眺望が望める。
周辺一帯は標茶町育成牧場となっていて、1279haの傾斜放牧地と404haの採草地を有し、夏期3000頭、冬期1800頭の乳牛を飼育する他にめん羊の飼育も行っている。
大パノラマを満喫したところで、ここから摩周駅へ向かった。
多和平から20km弱、時間にして20分ほどで摩周駅へ到着、憧れの摩周湖、屈斜路湖はもう目と鼻の先である。
摩周駅は弟子屈町朝日にある釧網本線の駅で、旧称は弟子屈駅だったが全国的に知名度の高い「摩周湖」を生かしたネーミングにしたいとの要望が多数あり、1990年11月20日に摩周駅に改称された。
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