横浜散歩 その2 金沢文庫まで

 平安期以降、 武蔵国久良岐郡金沢村とその周辺は東日本有数の景勝地として知られ、江戸期には中国の「瀟湘八景」に倣い「金沢八景」と名付けられるほど風光明媚な土地だった。

 称名寺も「称名寺の晩鐘」として「金沢八景」のアイテムに組み込まれていて、実時が真言律宗に帰依した後、鎌倉幕府滅亡直前の貞顕の時代には真言律宗の関東における一大拠点として七堂伽藍を擁する大寺となった。

 現在その伽藍の多くは失われているが、1988年に保存整備事業を終えた「阿字ヶ池」を中心とする浄土式庭園は、北条得宗家が檀那となった建長寺・円覚寺クラスの大寺の庭園を上回る。

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 まず、この仁王門から見ていくが、阿形・吽形の仁王様がにらみを利かせる仁王門は二層の楼門で、中を通り抜けることはできない。

 現在の仁王門は文政元年(1818年) に、江戸の豪商・石橋弥兵衛の寄進により建立されたものである。

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 仁王門をくぐると、真正面に阿字ヶ池に掛る赤い反橋が見える。

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 この庭は、阿字ヶ池を中心に反橋・中島・平橋を配した浄土式庭園で、橋を渡りきると極楽浄土に辿りつくようになっている。

 浄土式庭園は平等院や浄瑠璃寺(京都府木津川市)などが代表格で、関東で戦火を免れた浄土式庭園がみられるのは貴重である。

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 阿字ヶ池を見たあと、これから左手の赤←の方角に歩いて行き、隧道を抜けて金沢文庫に向かうが、その後に反橋と平橋を渡って金堂等を拝観することにする。

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 ここが金沢文庫へ向かう隧道の入口である。

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 隧道の中は、こんな感じである。

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 隧道の向こうの建物が、金沢文庫である。

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