思い出の中の川 第12回 小俣宿 その1

 これから小俣宿を散策していくが、その前に小俣宿が登山口の一つとなっている「日本国」という山の名の由来を紹介する。

 新潟県と山形県の県境に位置する標高555mのこの山の名前の由来には諸説あるようだが、三つ紹介する。





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 一つ目だが、蜂子皇子(崇峻天皇の第三皇子、出羽三山開山)が父親である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺された事で、その追っ手から逃れる為日本海を舟を使って出羽国まで辿り着き、その後日本国に登った。

この山から南が日本国であるから、追手もこちらまでは追及しないだろうと語った故事から日本国と呼ばれるようになった。


二つ目は、この山で捕まえた鷹を将軍に献上したところ、余りにも見事な鷹だった事から将軍が日本一の鷹と褒め称えた事から日本国に名付けられた。


三つめは、この山に古代の柵が設けられ、この柵が日本国と蝦夷の境だった事から日本国と名付けられた。


いずれの説もなる程と思わせるが、釣り師的には三つ目の「古代の柵が日本国と蝦夷の境だった」という説を押したい。





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 それでは日本国郵便局の前から小俣宿散策をスタートする。



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 小俣宿はかつて日本の主要道であった出羽街道の宿場町として、出羽三山への参拝者など多くの人々が訪れた。

明治維新では戊辰戦争の戦場となり、集落のほとんどが焼き払われたというがその跡に再建された家々が現在も残っていて、貴重な小俣集落の町並みをつくっている。





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 左側の家は丸伊という屋号の丸伊商店で、この店では山形の郷土料理である笹巻を取り扱っているようで、小俣宿が山形との県境であることをそっと教えてくれる。



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 右側の電柱の向こうの家は酒屋さんのようで、日本国と白字で書かれた紺色のノボリ旗がはためいていた。



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 「おはよう」「いつもおせわになりまして」という元気のいい挨拶を交わしながら、小俣宿のおばちゃんたちが通り過ぎていった。



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 ここは小野屋という屋号の大きな家である。



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 この家では自慢の一品である「日本国太鼓」を展示しているというが、どんな太鼓か見たい気もあったが、そのまま素通りした。

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