2012年に旅したオホーツク街道の続き その30 摩周湖

 摩周駅で一休みして、摩周湖に向かった。

画像1

 摩周湖までは約10km、時間で15分ほどの距離である。

 摩周湖は「霧の摩周湖」として有名だが、この湖を有名にしたのは1966年に布施明が叙情豊かな絶叫調で歌った歌謡曲「霧の摩周湖」(作詞:水島哲、作曲:平尾昌晃)の大ヒットである。
 「霧の摩周湖」の裏話だが、作曲を手掛けた平尾昌晃は当時結核により歌手の道を断念して療養中で、訪れたことのない摩周湖を勝手に想像でイメージして、この曲を作り上げたという。

画像2

 「霧の摩周湖」となる理由だが、太平洋上を北上する暖かく湿った空気が北海道沿岸で急激に冷やされることで濃い霧が発生し、冷たい霧は外輪山を越えてカルデラの中にたまり、湖面を覆いつくすのである。

 摩周湖は景勝地として古くから知られていたが、交通が不便なために長らく全国からの観光客はほとんど来なかったという。

 摩周湖は新潟大学2年時に友人二人と三人組で徒歩中心に二週間旅した北海道旅行で立ち寄った場所で、その時の記念写真が残っている。

画像1.jpg

 ただ、摩周湖には霧がなく、夏の太陽に正面から照らされ、眩しそうに顔をしかめている20歳の頃の僕が立っている普通の夏の風景である。

画像4

 ネットで借用した摩周湖第一展望台の風景が酷似しているので、20歳の頃の僕ら三人組は間違いなく摩周湖第一展望台から摩周湖風景を眺めたようである。

 摩周湖のどちらの写真にも、湖面にカムイシュ島と呼ばれる小島が写っている。

 カムイシュ島は比高210メートルを越えるデイサイト質の溶岩ドームの頂上部分が湖面上に現れたもので、丸く崖に囲まれた形状をしている。

画像5

 「カムイシュ」とはアイヌ語のカムイ(神、または神のような崇高な霊的存在)+シュ(老婆)の意といわれ、その名はアイヌの口承文学であるユーカラによりアイヌが名づけたものである。


 島にはこんな伝説が伝わっている。

 「宗谷のコタン(アイヌの集落)同士がイヨマンテ(熊祭)の夜に争い、一方のコタンは敗れほとんどが殺されてしまう。敗れたコタンの老婆とその孫は命からがら逃げるが、逃げる道中で孫がはぐれてしまう。老婆は孫を探しながらさまようが見つからず、カムイトー(摩周湖)付近までたどり着く。老婆はカムイヌプリ(摩周岳)に一夜の休息を請い、許される。が、悲嘆にくれ疲労困憊した老婆はそこから動けず来る日も来る日もそこで孫を待ち続け、とうとうカムイシュ島になってしまった。いまでも、摩周湖に誰かが近付くと老婆は孫が現れたかと喜び、うれし涙を流すが、この涙が雨であり霧であり吹雪なのだという。」


 ところで、摩周湖はバイカル湖についで2番目に透明度の高い湖で、2001年には北海道遺産に選定された。

 急激に深くなっていることとその透明度から、青以外の光の反射が少なく、よく晴れた日の湖面の色は「摩周ブルー」と呼ばれている。

 1930年8月の透明度調査では、バイカル湖の40.5メートル(1911年調査)をしのぐ41.6メートルの透明度を記録したこともあるが、現在は20m程度のようである。

画像6

 摩周湖第一展望台レストハウスで「摩周ブルー」というソフトクリームを買い、摩周湖の絶景を堪能しながら美味しく食べた。

この記事へのコメント