2018年 山が笑う その3 「ゼンマイ(銭舞)」を採る
女川の左岸の崖道を歩いて行くと、すぐに急峻な崖地のあちこちにゼンマイが適度に成長して来ていて、程よい採り頃をむかえていた。
しかしゼンマイ採りは楽しくもあるが、生えている場所がこんななので、実際は非常に危ない山菜である。
今回はしっかり体力があった頃(10年以上前)を思い出して、けっこう本格的なゼンマイ採りを試みた。
この崖は、斜度70度くらいはあり、いくら斜面全体にゼンマイが繁茂していても、這いあがって採ることは全く不可能な場所である。
黄→の枝にロープを固定して、片手でロープに掴まり、片手でゼンマイを採るのである。(悪ガキ時代のターザンごっこの要領。)
全身の筋肉を使い、汗をたっぷり描きながら、2~3回場所を変えてこんな作業を進めた。(心は一流の登山家!(^^)!)
こんなことをしていると、昔の山村生活者の苦労が本当に理解できる。
因みにネットで調べたところ、その倍の相場となっていた。
ところで、ゼンマイは一つの株から男ゼンマイと女ゼンマイが生えていて、女ゼンマイを採り、男ゼンマイを残すということが暗黙のルールとなっている。(赤↓が男ゼンマイ)
男は美味しくないとか腹をこわすという話もあるが、胞子を持っている男のゼンマイを残すことで、ここのゼンマイ種を保護し、来年も収穫できるようにしているのである。
ゼンマイ採りをしながら、ふと、今でもマタギが活躍している村上市の山熊田集落を訪れた春の日のことを思い浮かべた。
山から家族が採って来た袋いっぱいのゼンマイを、このおばあちゃんは嬉しそうに1本1本丁寧にそろえて、ゴザに並べていた。
そうして天日で何日か揉みほぐしながら干していく。
このようになるとすっかり完成品で、kg/万以上で売れるのである。
ゼンマイは今でも山村の貴重な現金収入で、一番大切な特別な山菜である。
余談だが、ゼンマイは江戸時代には既に幕府・藩の献上品になっていたという程の貴重で高価なものだった。
このゼンマイに似ている存在が、江戸期に松前藩という北辺の藩の経済基盤となって莫大な富をもたらした「鰊(ニシン)」で、各藩の経済基盤となっていた米と同様の存在だった。
一方ゼンマイは、銭がクルクル回転しているように見えるので、「銭舞」となり、ゼンマイとなったという説や、綿の被った姿を小銭に見立て、渦巻き状であることから銭巻となり、それが「ぜんまい」になったという説がある。
「鯡(魚に非ず)」も「ゼンマイ(銭舞)」も、獲る(採る)人を熱狂させるのは、それが金になるからである。
たった1時間ほどのゼンマイ採りだったが、10年の時の経過はどうにもならなく、すっかり疲れてしまった。
「そこにゼンマイはあるが、ゼンマイだけは止めた方が良い。」
これが今現在の僕の、偽らざる心境である。
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