横浜散歩 その3 金沢文庫
隧道の向こうに金沢文庫を造った理由は火事による延焼を避けるためで、昔は今よりもっと火事が多かったという。
金沢文庫(かねさわぶんこ)は、鎌倉時代中期(13世紀後半)において、金沢流北条氏の北条実時が金沢郷(現在の横浜市金沢区)に設けた文庫で、武家の文庫としては日本最古と紹介されることもある。
近代になって復興され、現在は「神奈川県立金沢文庫」(かなざわぶんこ)の名称で県立歴史博物館となっており、様々な所蔵品を保管・展示している。
金沢(武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷)は金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地である。
鎌倉時代中期に幕府の要職を務めた北条実時は、鎌倉に下った明経道の清原教隆に漢籍訓読を学ぶ一方、嫡系の北条政村の影響で王朝文化にも親しむ文化人であった。
実時は金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、和漢の書を収集したが、実時は晩年を金沢館で過ごしており、蔵書も金沢に移されたと考えられている。
文庫は実時の蔵書を母体に、顕時、貞顕、貞将の代に拡充された。特に実時の孫にあたる金沢貞顕が六波羅探題に任じられ京都へ赴任すると、公家社会と接する必要もあり収集する文献の分野も広がり、貞顕は自らも写本を作成し「善本」の収集に努めた。また、貞顕は菩提寺の称名寺を修造している。
鎌倉幕府の滅亡に際して貞顕は自刃、貞将も戦死し、金沢氏は滅亡する。
以後は称名寺が典籍類の管理を引き継いだが、次第に衰退していった。
室町時代に関東管領の上杉憲実が再興したとも言われるが定かではない。
後北条氏、徳川家康、前田綱紀らによっても多くの蔵書が持ち出され、「金沢文庫本」と呼ばれる典籍の多くは散逸した。
金沢文庫として整備されたのは昭和の初期で、現在の建物は平成4年に建てられたものである。
この日は仏教説話の世界の特別展が開かれていた。
内部撮影は出来ないので、ここでは収蔵品の紹介に留めたい。
美術品
金沢北条氏歴代の肖像画(実時・顕時・貞顕・貞将像、国宝)、称名寺に伝来した美術品(絵画、彫刻、工芸)、忍性や審海の肖像画、木造釈迦如来立像、木造十大弟子立像、金銅製愛染明王坐像などの仏像、青磁壺、審海所用の密教法具などがある。
古書
古書
称名寺に伝来した古書として、『文選集注』(金沢文庫本)、『宋版一切経』、塔頭光明院にあった「称名寺聖教」(和漢の仏教書類で湛睿の稿本を含む)など。
古文書
1930年以降、聖教(称名寺聖教)が光明院から県立金沢文庫に移されて、調査・研究が行われた。
古書の紙背から金沢貞顕書状などの貴重な史料が見つかり、重要なものは抜き出され、古文書の形に整理された。
他に称名寺の荘園関係文書などもあり、約4000点の古文書(金沢文庫文書)が1990年に重要文化財に指定され、その後聖教と合わせて「称名寺聖教・金沢文庫文書」として国宝に指定されている。
なお、県立金沢文庫が刊行した『金沢文庫古文書』には、文化財指定された古文書約4000点以外に、寺外に流出した文書、寄贈された近世文書なども収録している。
郷土資料
なお、県立金沢文庫が刊行した『金沢文庫古文書』には、文化財指定された古文書約4000点以外に、寺外に流出した文書、寄贈された近世文書なども収録している。
郷土資料
県立金沢文庫が収集した郷土資料として、金沢八景や神奈川県下の名所絵、県下でおこった出来事を描いた歴史絵、横浜絵などの浮世絵がある。
金沢北条氏とゆかりのある吉田兼好、『徒然草』関係のコレクションなどもある。
考古資料
考古資料
近隣に所在する称名寺貝塚、野島貝塚などの遺跡から採集された考古資料が保管されている。
そのうち、称名寺貝塚資料をはじめとする一部の資料は、大正〜昭和期に神奈川県域で活躍した考古学者である赤星直忠が採集した資料の可能性が指摘されている。
神奈川県立金沢文庫所蔵文化財
神奈川県立金沢文庫所蔵文化財
重要文化財(国指定)
(神奈川県所有分)
建春門院中納言記 - 金沢貞顕の奥書と文庫印がある金沢文庫本。称名寺から流出し個人蔵になっていた。
武蔵国鶴見寺尾郷絵図
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