「オホーツク街道」の旅 その2 「え、もう釣れちゃったの?」とバイブルに出ていた知来別川だが・
イトウ釣り以外は何もしない、真面目に極北の大魚イトウに大真面目にチャレンジすることを目的とした一日である。
イトウは体長は1mから大きいものでは1.5mに達し、記録上最大のものでは、1937年(昭和12年)に十勝川でおよそ2.1mのイトウが捕獲されたことがあるという。
こういう魚は釣れると本気に思って事に当たらないと釣れないという。
イトウ釣りの神様神川竜一からのネット情報はここからはないし、それに代わりうるものはサハリン生まれの渓流釣り師「鍛治英介」の書いたつり人ノベルズ発行の「カムイたちの後裔」である。
1992年に初版本として発行され、ほんの偶然のなせる技で僕の目にとまり、イトウ釣りの際には必ず携行しているバイブルである。
最北の宿で朝食をシッカリ食べ、7時半には宿を出て、オホーツク街道を南東の方角へ下っていく。
最北の宿は日本で一番北、北緯45度31分の宿なので、ここからはどの方向へ向かっても南下となる。
「カムイたちの後裔」に添付されている地図には、この本でのイトウ釣りの対象となった川が地図上に記されている。
宗谷岬から一番近い川として、赤いアンダーラインの引かれている知来別川と猿払川、この地図には載って無いが、この二つの川の間に位置する猿骨川が今日の釣りの対象となる川となる。宿を出て30分ほどで、知来別川に到着した。
知来別川は想像していたより川幅が狭く、今の川の状況は水も澱んでほとんど動かなくて、イトウがいるようには全く見えない川だった。
ただ、自衛隊川が合流する地点から50m程は川幅もあり、きっとこの当たりでイトウを釣っているんだろうなという感じはした。
我がバイブルには、知来別川の釣り場光景がこのように書かれている。
「内陸部の湿原から流れ出て、オホーツクの荒海へ注ぐ知来別川河口付近に、漁師の家々が寄り集まり、小さな集落をつくっている。釣り場はその少し上流部。知来別川は、広々とした牧場のなかを大きく蛇行してゆったり流れている。」
このように書かれている場所が上地図では、小さな赤い点より川上の部分、この赤い点のあたりに牧場がある。
自衛隊川の方にはイトウの魚影はほとんど無く、知来別川がイトウ釣りの対象となる川。
牧場に車を留め、早速知来別川を攻めてみる。
河岸は草が繁茂して、しかもやぶ蚊がウジャウジャ音を立てて飛んでいる状況、知来別川もほとんどサロベツ川と似たような状態である。
しかも河岸の護岸のために目の荒い太めの金網が敷かれていて、草の上を歩くと草が潰れて滑りやすくなるので、なかなか絶好のポイントでのキャスティングとはいかない。
何とか降りて、ポイントに立ち、川の上流に向かってキャスティングを繰り返す。
早く引いたり遅く引いたり、深めを引いたり浅めを引いたりしてみたが、いっこうに何か魚が掛かる気配もない。
この上の方にも歩いて行って、1箇所で10回程キャストし、それを場所を変えて5〜6回繰り返したが全く反応が無い。
自衛隊川との合流地点より下流も攻めてみたが、ここも反応が皆無。
「え、もう釣れちゃったの?」とバイブルに出ていた知来別川は、ここへ初めて来た釣り人には冷淡で、相手にもして貰えなかった。
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