思い出の中の川 第14回 雷集落

小俣宿の次に雷集落に行った。





10

 釣り師はこの雷集落にこれまで幾度も出かけている。

最初にここに出かけたのは平成8年5月3日で、当時は鳥屋野地区公民館で「渓流釣り教室」の真っ最中の時期だった。


「渓流釣り教室」の主任講師だった飯塚先生はこの場所を、「入口の道に立つと、眼下に向の村里がこじんまりとまとまっていて、山村の風景を代表するようで好きである。」と「新潟の渓流と釣り」に書いている。





20

 釣り師も同じような理由でこの場所が大好きだが、そんなことで雷集落の名を頭に思い浮かべると、何故か飯塚先生を真っ先に思い出すのである。

平成7年度の新年明けてから春先まで、鳥屋野地区公民館で県渓流協議会と共催で「渓流釣り教室」を開催した。


最初にこの企画を持ち込んできたのは飯塚先生で、毎日新聞に1990年の1月13日から1992年の3月28日まで掲載された「友さんの釣り日記」のコピーを携えて、「ここで渓流釣り教室を開かせて欲しい」と確か言われてきたように記憶している。





30

 「友さんの釣り日記」は実に素晴らしいエッセイで、全文を紹介したいところだが、ここではタイトルだけを幾つか紹介する。

「釣りーそれは自然環境哲学」、「夢の中の幻の渓流」、「釣りは生き甲斐になるか?」、「渓流釣りは旅の延長」、「歳をとったら、晴耕雨読で」、「遠野・渓流釣り紀行」、「この夏・津軽半島の渓流から」、「川に優しい開発を(雷集落のことが書かれている)」、「渓流に別れを告げる時期」、「わが心の渓流釣り人生」などである。





40

 「渓流釣りは人生そのもの」と言い切る飯塚先生の魅力に負けそうになりながら、「渓流釣り教室」を開催したのである。

その後、「鳥屋野渓流釣り同好会」という会を作ったが、釣り師が公民館とスポーツセンターに居る間くらいしか付き合いは出来ず、今では当時のメンバーとは年賀状のやり取り程度である。



 雷集落というと、やはり今でも、飯塚先生を先頭に当時の「鳥屋野渓流釣り同好会」のメンバーの顔が浮かんでくる。

この記事へのコメント