探険家の歴史 第2部 長江の旅 その9 チベット(そして源流へ・・...)
チベット族の居住区域、中国の4分の1の区域に住む。 ↑
最後に問題あり、今回も回答よろしくです。
東シナ海に注ぐ長江の河口からさかのぼり、青蔵高原の西の端に位置するタングラ山脈の大氷河の末端を源流とする6380kmもの河川延長を誇る長江の旅も今回で終了。
今回の旅は最終ゴール地点への到達を目的とする旅となった。
長江の最上流部に広がるのは青蔵高原、そこを流れる長江は、ここでは通天河と呼ばれる。
通天河とタングラ(唐古拉)山脈 ↑
通天河をさかのぼれば、長江源流(その河で最も河口から遠い場所)である。
1976年から1978年にかけて、長江探査隊が通天河の源流地を調査した結果、長江の源流は、タングラ(唐古拉)山脈の最高峰であるグラタンドン(各拉丹冬)を流れ下る三つの河川、トトホー、ダムチュ、ガルチュのうちの、最長を有するトトホーであることが特定された。
トトホーの流れ ↑
最源流の川「トトホー」の最初の一滴を生み出すグラタンドン(各拉丹冬)は、チベット族に伝わる伝説の「神の棲む山」であり、そこは人の近づけない「雪と氷に閉ざされた世界」である。
神の山「グラタンドン」 ↑
通天河の流れる青蔵高原は、世界の秘境「チベット」の世界でもある。
「チベット」は農業と放牧を生活基盤とし、特産物は、チベット綿羊、チベットヤギ、ヤク、ウマ、偏牛(ヤクとウシの雑種)である。
とりわけヤクは体が大きく長毛で寒さにも強く、重要な交通輸送手段として、同時に豊富な毛皮、ミルク、バターや各種乳製品、畜産物を提供してくれる家畜としてチベット族の生活に深く入り込んでいる。
農業の主役、ヤクです。 ↑
彼等の主食はツァンパ、チンクー麦の粒を妙って粉にし、これに水や茶を加えて手で練った食べもので、チベット族伝統のバター茶(木や竹で作った茶筒に食塩とバターを入れて、よく撹絆してつくる。)を飲みながら食べる。
バター茶とツァンパ ↑
茶はチベットでは採れず、雲南省から輸送されてくる。(以前は茶馬の道を介し、交易により手に入れた。)
漢籍史料の記載によれば、青蔵高原は古来「西羌人」の遊牧地区であった。
「西羌人」が現在のチベット族の祖先であろうと考えられている。
チベットが初めて国の形態をとるのは西暦6世紀、雅隆地区の首領が鶴提悉勃野部族同盟の指導者になり、「ツァンプ」と名乗り、奴隷制社会に入った。
西暦7世紀に至って、ソンツェン・ガンポがチベット全域を統轄し、吐蕃王国を築いた。
吐蕃王国は、その後多くの漢族や西域あるいは南詔国の各集団を統治し、これら集団の住民の一部もチベット族に組み込んだが、後に元王朝が吐蕃王国を中央政権の支配下におさめ、チベット族は単一民族として形成されていき、漢族の史書の中で、吐蕃、西蕃、唐古特、蔵蕃などと呼称され、ダライ・ラマの統治する国として存続してきた。
ダライ・ラマの宮殿、ポタラ宮 ↑
欧米列強のアジア進出がつづいた19世紀から20世紀にかけて、天然の要塞に囲まれた陸の孤島チベットにも、近代化の波が押し寄せた。
それまで、中国に朝貢するという形で、中国との間では朝鮮半島諸国程度の政治的バランスを取っていたチベットは、欧米列強の雄イギリスに翻弄されたり社会主義化した中国に翻弄されたりした。
この両国との激しい独立運動の末、1959年にはチベットの政治的・宗教的統治者であるダライ・ラマ14世がインドに亡命した。(アメリカインディアンの歴史を思い出すよ。)
ダライ・ラマ14世(ノーベル平和賞受賞者、チベット独立運動を継続中) ↑
中国大陸の4分の1を占める面積を有する平和な仏教国「チベット」は、この時点で事実上中国の領土の一部となり、その土地の約500万の住民は、中国の少数民族の一つとされ、現在にいたっている。
ダライラマの言葉にこんなものがある。
「平和への道があるわけではありません。平和が道だからです。」
かれも、ガンジーと同じ、非武装、非暴力の人なのです。
中国は21世紀に入っても、急速な経済的成長を持続している。その一番の原動力が、西部開発プロジェクトだろう。
中国少数民族の居住する地域はほぼ全域が西部(国土の70%)に当たり、漢族の居住する先進地域である東部(国土の30%)に比べ、経済的に立ち遅れており、貧困者の占める割合が多い。
これを是正し、全国民(全民族)の経済的平等を目的に計画されたのが、西部開発プロジェクトである。
西電東送(内モンゴルの火力発電電気を中国東部へ送る)、南水北送(長江流域の水を黄河流域に送る)等があり、このチベットに計画された大プロジェクトが青海チベット鉄道である。
青海チベット鉄道の工事 ↑
世界で海抜最高、距離最長の鉄道――青蔵鉄路(青海チベット鉄道)は、2005年 10月15日に全線開通した。
青海チベット鉄道は西寧―ラサ間1,956kmを走る鉄道で、2006年3月から貨物輸送で試運転が始まり、7月から客車運行の全線試運転が始まる。
西寧―格爾木(ゴルムド)間は既に80年代初頭に完成しており、格爾木(ゴルムド) ―拉薩(ラサ)間1,142kmが今回完成して全通した。
通過主要駅は格爾木(ゴルムド)の次に崑崙山口(クンルンシャンコウ)―不凍泉(ブドンチゥエン)―五道梁(ウーダオリァン)―沱沱河沿(トトホユァン)―通天河(トンティエンホー)―唐古拉山口(タングラシャンコウ)―安多(アムド)―那曲(ナクチュ、ナーチュー)―当雄(ダムション)―羊八井(ヤンパージン)―拉薩(ラサ)の各駅、唐古拉山口駅は世界最高所(海拔5068m)にある駅である。
僕はこのとてつもないプロジェクトを前に、環境学者の心配する地球規模での自然破壊よりも先に、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を思い出してしまった。
4千mを越える高原地帯を行く旅客列車は、乗客の健康と安全のために、二重ガラスによる密閉式の風防ルームが車両と車両の間に設けられ、低気圧と酸素不足による高山病の緩和に対処する。(まるで、宇宙を走る銀河鉄道のようだね。)
もちろん車内空調でも酸素調整を行い、かつ各車両には必要時に酸素を吸えるよう器具を設置する。(これはもう、宇宙旅行だ。)
この夜、僕はチベット族自治州の中心都市ジェクンド(玉樹)の宿で、青蔵高原を銀河鉄道に乗り、馬や単車で草原を駆け回った夢を見た。
青藏鉄道の最高橋――三岔河特大橋、最高所は50mを超える。 ↑
21世紀は、中国の世紀と言われている。ただ、その意味するところは、欧米型の畑作牧畜民族が15世紀の末から作り上げてきた拡大征服型社会の延長線上にあるものである。
西部開発も、ヨーロッパ人がアメリカを駅馬車で進みながらインディアンのような少数民族を自民族の文化圏に取り込んできた歴史にどこか似ている。
中国を形成する56の民族のうち、漢民族以外の55の少数民族は、そのほとんどが、中国大陸の周辺や辺境と呼ばれるところに、中国大陸の外枠をなぞるような形で居住し、次第に漢化されながらも、今のところは独自の文化を守り伝えている。
チベット民族の男女による民族舞踊 ↑
21世紀の中頃には、中国はGDPで世界一となるという。その頃の2番目はアメリカ、そしてインド、ロシアと続いて行く。
その到達までの道程は、先進諸国が歩んできた道程とまったく同じで、大量のエネルギーを使っての、大衆消費社会への道である。
ここで、問題です。
21世紀の中頃には、中国少数民族の人々の生活はどうなっていると思いますか?
1 独自の文化を保って、引き続き桃源郷的な生活をしている。
2 漢人に同化し、物質的に豊かな社会で生活している。
3 その他(自由な考えで書いてください。
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