奈良大和路散歩(2016年の旅) その33 葛城みちをゆく その1 笛吹神社

 竹内街道を終え、レンタカーを停めていた「柿の葉すし本舗 たなか葛城店」に戻った。いろいろこの店でお世話になったこともあり、この店で昼飯用の柿の葉寿司を買って、


 今度は竹内街道から90度方角を変えて葛城みちに繰り出した。


 ところで、葛城みちの沿線となる奈良県葛城地方は大和朝廷の母体となる三輪王朝の前に存在したとされる葛城王朝の栄えた場所である。


 なにぶん古い話なので、本当か嘘かは誰もわからない。


 話の出処は、宗教民族学者の鳥越憲三郎氏の著となる「神々と天皇の間」(大和朝廷成立の前夜)である。


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 氏は我が国の創生期の頃の記紀伝承の多くが記紀編者の全くの作り話であると抹殺されてきた中で、神武の後に続く「欠史八代」に注目し、大和の中に葛城山と三輪山を中心とする二つの王権の存在を想定した。


 神武天皇も崇神天皇も記紀では「ハツクニシラススメラミコト」と表現されているが、この言葉の意味は、建国の大王ということである。


 鳥越氏は二人のハツクニシラススメラミコトの存在をそのまま認め、神武天皇は三輪王朝に先行する葛城王朝の「ハツクニシラススメラミコト」とし、「欠史八代」も葛城王朝の天皇達と考えた。


 ここからの葛城みちの旅は、初期大和朝廷の成立と考えられている三輪王朝の前の王朝である葛城王朝への旅である。


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 この道は「葛城古道」とも呼ばれ見どころ満載の神々と天皇の間を駆け抜けるような旅でもあるのだが、「司馬遼太郎の葛城みち」に沿って、彼の訪れた笛吹神社一言主神社高鴨神社を訪れることにした。


 まず笛吹神社に行った。


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 葛木坐火雷神社は葛城市笛吹にある神社で、通称笛吹神社である。


 祭神は火雷神と笛吹連の始祖である天香山命、火雷神は火之迦具土神ともいい火の神である。


 天香山命は石凝姥命で、天照大神が天の岩戸にかくれたときに天香山の土を掘って鏡を作り、竹で笛を作って吹き鳴らしたと神話に伝えられている。


 古代に王朝の笛師をつとめた笛吹連がこの地に居住し、火雷神を自家の祖神として祀ったのが始まりとされている。


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 この境内案内図を見ていた時、司馬遼太郎の「街道をゆく 葛城みち」で「40前後の人で、眉がふさふさと濃く、みるからに異相の人である。」と書かれていた持田神主さんと思われる方を見かけた。


 平素は山仕事をしていると書かれていたとうり、服装は至ってシンプルで、物腰もそのあたりの農家の人とほとんど変わりなかった。


 司馬さんの導きのおかげで、願ってもない方をお見かけし、思わぬ拾い物をして得をしたような気になったが、その方が本物かどうかは確かめる気も無かった。


 なにぶん古い時代の古い頃の話の中から生まれた神社なので、持田神主さんも古い古い時代の中に置いておきたい気がした。


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 持田神主と別れ、この階段を上がって本殿に向かい参拝し、次に隣の拝殿に行った。


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 ここが拝殿で、正月にはフルートや尺八など奉納演奏が行われ、境内には県天然記念物に指定されているイチイガシが群生し、本殿裏には奈良県指定史跡の笛吹神社古墳もあるのだが、残念ながらそこは見なかった。


 司馬遼太郎によれば、笛吹(フエフキ)は火吹が転化したのではないかと推理していて、笛吹神社のあるこの村は卜占(亀の甲などを焼いて吉凶を占う)を司っていたのだと大胆に切り込んでいた。


 古い古い話が、ここに居ると本当のように思えた。

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