2012年に旅したオホーツク街道の続き その35 「氷点」を歩く旅の始まり

 卯原内を出ると北見市に向かい、そこから国道333号に乗った。
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 赤線で表示した国道333号は北見市から旭川市に至る一般国道である。(旭川市の起点から上川町までは国道39号と、そこから紋別市方面への分岐までは国道273号と重複する。)

 沿線の端野街、遠軽町、丸瀬布町、白滝村を走り抜け、北見峠を越えて、愛別町から旭川市に入った。

 旭川までは200km程あるが、峠越えの道でもあるので、途中で昼食を食べながら4時間半ほどかけてゆっくり旭川に入った。
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 まだ午後2時前だったので、午後からの半日を「氷点」を歩く旅とした。


 「氷点」はクリスチャン作家三浦綾子の小説で、朝日新聞朝刊に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載され、1965年に朝日新聞社より刊行された。

 連載終了直後の1966年にテレビドラマ化および映画化されて以降、何回も繰り返し映像化されている三浦綾子のヒット小説で、原田康子の「晩夏」と同じくらいショッキングな話である。

 扱っている内容は、継母による継子いじめ、義理の兄妹間の恋愛感情などの大衆的な要素を持つ一方、キリスト教の概念である「原罪」が重要なテーマとして物語の背景にある。
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 続編も出ていて、こちらのテーマは「罪に対するゆるし」であり、これらのテーマには三浦のキリスト教徒としての立場が色濃く反映されている。


 氷点のあらすじをここで紹介する。

 昭和21年(1946年)7月の夏祭りの午後、旭川市郊外神楽町の見本林の傍らにある辻口病院長邸の応接室で、妻の夏枝は眼科医村井靖夫の訪問を受けていた。

 そこに入って来た三歳の娘ルリ子に、夏枝は外で遊ぶように言うが、家から出たルリ子は佐石土雄によって殺されてしまう。

 事件後妻の夏枝と村井靖夫がルリ子を殺したに等しいと考えた啓造は、「汝の敵を愛せよ」という聖書の言葉を実践する人格者を装い、友人の産婦人科医高木に頼んで、殺人犯佐石の娘とされる幼い女の子を引き取り、それとは知らせずに妻に育てされるという復習をする。
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 夏江は女の子を陽子と名付けて可愛がるが、陽子が小学1年生になったある日、夏枝は書斎で啓造の書きかけの手紙を見付け、その内容から陽子が佐石の娘であることを知る。

 夏枝は陽子の首に手をかけるが、かろうじて思いとどまる。

 もはや陽子に素直な愛情を注ぐことが出来なくなり、給食費を渡さない、答辞を書いた奉書紙を白紙に擦り替えるなどの意地悪をするようになる。

 一方の陽子は、夏江が給食費をくれないのに困って牛乳配達を始めるが、漏れ聞いた牛乳屋の会話から、自分が辻口夫妻の実の娘ではないことを知る。
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 辻口夫妻の実の息子である徹は、常々父母の妹に対する態度を不審に思っていたところ、両親の言い争いから事の経緯を知り、両親に対するわだかまりを持ちつつ、陽子を幸せにしたいと願う。

 その気持ちは次第に異性に対するそれへと膨らむが、陽子のために自分は兄であり続けるべきだという考えから、大学の友人である北原邦雄を陽子に紹介する。

 陽子と北原は互いに好意を持ち、文通などで順調に交際を進めるが、陽子が高校2年生の冬、夏枝は陽子の出自を本人と北原に向かって暴露し、陽子は翌朝自殺を図る。

 その騒動の中で、陽子の本当の出自が明らかになる。
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 「続氷点」も書かれた。

 一命を取り留めた陽子であったが、実の父親が佐石ではないと聞かされても心が晴れないばかりか、不倫の関係であった実の両親やその結果生まれた自分に対して複雑な感情を抱く。

 徹は陽子の実母三井恵子に会い、陽子の近況を告げたが、動揺した恵子は車の運転を誤り、事故を起こす。

 その経緯に不審を抱いた恵子の次男達哉は、大学で母にそっくりな陽子に出会い、事の真相に近付いた達哉は冷静さを失い、無理に陽子を恵子に会わせようとするが、それを阻もうとする北原を車で轢いてしまう。

 作中最後の場面で陽子は、夕日に照らされた真赤な流氷を見ながら、人間の罪を真に「ゆるし」得る存在について思いを馳せるのである。

 表題の「氷点」の意味だが、何があっても前向きに生きようとする陽子の心がついに凍った瞬間を表していて、その原因は単に継母にひどい仕打ちを受けたという表面的なものではなく、人間が生まれながらにして持つ「原罪」に気付いたことであると解釈されている。
 いずれにしても、重くて難しい物語である。

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