九州散歩Ⅰ その34 「旬鮮館」で昼食

 松浦史料博物館を見たあと、昼食を食べに平戸市漁協「旬鮮館」に向かった。

 1000円で借りた電動レンタサイクルは快調に走っているが、平戸のようなアップダウンの厳しい街は、電動サイクルでないととても走れない。
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 まず、赤⇓の松浦史料博物館から赤☆印の「旬鮮館」まで駆けおり、ここで昼食を食べると、午後からは最初に、赤字1の「フランシスコ・サビエル記念碑」と赤字2の「三浦按針の墓」を見る計画である。

 数分程度で、「旬鮮館」に到着した。
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 ここは、長崎県平戸市宮の町平戸桟橋そばの「海岸通り」沿いの「平戸市漁業協同組合」1階にある食堂&海産物販売店である。

 漁協直営の店で、平戸市獅子町にある漁協自営の定置網でその日の朝に獲れた鮮魚をトラックで直送して提供している。

 旬の魚を浜値でいただけ、旅行者の観光スポット・お食事処として大好評で、特に平戸特産の高級魚「ひらめ」に関しては、周辺の寿司割烹店のお値段からして3~4割お安く提供されているという。
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 このようなメニューが店先に表示されていて、イカ刺定食を食べたかったが、ここはグッと我慢して、手ごろな700円の値段の海鮮丼を食べることにした。
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 行列必至の店というガイドブックの照会だったが、そう待つことも無く、美味しい海鮮丼にありつけ、十分そのおいしさを堪能して満足できる昼食となった。
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 午後からは計画通り、最初に国際観光ホテル旗松亭裏の赤字1「フランシスコ・サビエル記念碑」、それから少し離れた赤字2の「三浦按針の墓」を見る予定である。

 まず「フランシスコ・サビエル記念碑」に向かった。

 サビエルはスペイン出身のイエズス会士として東洋布教に努め、日本に初めてキリスト教を伝え、東洋の使徒と呼ばれた偉人である。
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 1549年(室町時代)に鹿児島に到着し、その後2年余の滞在のうちに平戸、山口 、豊後などで伝道、500人以上に洗礼を授けた。

 ザビエルは鹿児島で約100人の日本人をキリスト教に改宗させたが、1550年6月に平戸にポルトガル船が寄港したと聞いたザビエルは、同年9月にはコスメ・デ・トーレス神父と宣教師フアン・フェルナンデスとともに平戸に移住した。

 ザビエルは平戸でのわずか20日間の布教活動で、鹿児島における1年間の布教活動より多くの信者を獲得し、1551年1月には平戸に日本初の教会が建築されたが、その遺構は現在、復元された「オランダ商館」に近い平戸崎方公園に残されているというが、今回の旅ではそこにいかないこととした。



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