2012年に旅したオホーツク街道の続き その36 旭川と「氷点」

 氷点はキリスト教で言う原罪を取り扱った小説で、とてもテーマの重い小説であるが、ただ、朝日新聞の1000万円懸賞小説の応募作品ということで、ストーリー展開の面白さだけが眼につく小説として仕上がった。

 僕自身の氷点体験は、石原さとみが殺人犯人の娘である陽子を熱演していたテレビドラマをレンタルビデオで見たものが最初である。
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 殺人犯人の娘をわが子として育てていったり、陽子が恋人北原から求婚された元日の朝食の席で、母親の夏枝から「あなたは娘を殺した人殺しの佐石の娘なのよ」と告げられたり、ショックのあまり、ルリ子が殺された河原で自殺を図ったり、ハラハラドキドキの展開である。

 その後陽子は人殺しの佐石の娘ではなく、三井恵子という女性が夫の出征中に不倫して出来た子ということが判明するのである。
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 続氷点では2年後に北海道大学文学部に入り、北大でも実際の佐石の娘と友人になったり、同学年となった三井恵子の子ども(陽子にとっては弟)に友人になってくれと声をかけられたり、興味尽きない展開で小説は進んでいく。

 この氷点一作で旭川を感じることが充分出来るので、小樽の「ラブレター」にも似た街歩きの参考書としては最適の小説である。

 まるで韓ドラの冬のソナタや美しい日々を見ているようで(韓ドラが氷点を真似たのだろう)、 韓ドラファンの僕としては同じようなもんだと感心しながら、興味深深で氷点のレンタルビデオに見入っていた。

 ここから小樽の「ラブレター」を真似、旭川の「氷点」を歩くことにする。

 旭川には、2010年の「石狩川の旅」で来ている。
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 この時は、9月22日(水)の一日をかけて、午前中は旭山動物園、昼食を旭川ラーメン村で食べ、午後から井上靖文学館、川村カ子トアイヌ記念館、北鎮記念館を見て、最後に三浦綾子文学館へ行った。

 ここで旭川市を簡略に紹介するが、旭川は北海道内最大の盆地となる上川盆地にあり、石狩川、牛朱別川、忠別川、美瑛川などの河川合流部に位置している。

 旭川市の歴史を先史から明治まで大雑把に紹介する。

 ここは縄文時代より栄えた土地で、装飾石器などが発見されている。
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 歴史が進みアイヌ圏が形成されていくと、神居古潭がアイヌの聖地となり、江戸時代の半ばに忠別川と美瑛川が合流して石狩川に注ぐあたりで、和人と上川アイヌの人々と交易を始めた。

 幕末期に入り、松田市太郎や松浦武四郎らが和人として初めて大雪山系を探索し、上川町で温泉を発見し、1950年代に層雲峡温泉と改称される。

 1869年9月20、蝦夷地を北海道と改称して石狩国上川郡を置く。

 1877年、鈴木亀蔵が和人として初めて現在の亀吉地区に定住する。

 1890年、北海道庁令により、上川郡に旭川・永山・神居の3村を設置。

 1891年、永山村に屯田兵が入植、翌年には旭川村(現東旭川地区)に入植。

 1897年、上川郡役所を旭川に移転して上川支庁と改称。

 1901年、大日本帝国陸軍第七師団が札幌から移駐。

 こんなところでやめておくが、旭川は国が北海道の中心とする構想のあった場所である。

 明治時代中期(19世紀末)に、当時の北海道上川郡旭川村(現旭川市)への誘致が検討されていたのが上川離宮で、離宮だけではなく、西京=京都、南都=奈良、東都=東京などと同様に、上川郡に「北京」を建設するという構想もあった。

 どちらも実現には至らず構想にとどまった。

 そのような経緯で、旭川の名は、アイヌ語に由来する「日」=「旭」の意と、大日本帝国の象徴としての「旭」の意を併せ持つ名として命名された事が読み取れる。

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