横浜散歩 その8 馬車みち その1

 この吉田橋から真っすぐに港に向かう道が馬車みちである。

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 慶応3年(1867)に居留地の外国人の要請で造られた馬車専用の道で、馬車道は緑化のための街路樹やガス灯の発祥の地でもあり、馬車道は外国人も住む関内と吉田橋を結ぶ道として、新しい文化が行き交う通りだった。

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 街路樹やガス灯の発祥の地だけあって、街路樹やステキなガス灯が馬車道を飾っている。

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 赤字1の馬車道広場には、大きいチェス盤があった。

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 よく見ると、ガス灯、近代街路樹、日刊新聞、アイスクリームなど馬車道発祥のものが刻まれていて、馬車道の両脇の街なかには、そんな馬車道のことはじめにまつわる記念の碑やモニュメントが点在しているという。

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 この馬車道の真ん中を、当時の気分を想像しながら無謀にも道の真ん中をしばらく歩いて行くと、向こうから車が走ってきたので、慌てて左側の歩道に避難した。

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 今度は、馬車道とはっきり書いてある素敵なガス灯と街路樹で飾られた歩道を、あたりの風景を堪能しながらゆっくりと歩いて行く。

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 しばらくして、また凝りもせず馬車道脇に飛び出して、司馬さんの「街道をゆく」の中の「馬車みちをゆく」編を撮影していると、左手からバイクに乗った郵便局員が勢いよく馬車道に飛び出して来て、少しひやっとした。

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 これは、赤字2の関内ホール入り口脇にある「日本初期のガス灯記念碑」である。

 他にも英国国会議事堂のガス灯、東京芸大大学院前にはビクトリア・タワーのガス灯など、街に並ぶガス灯は形や種類も様々なので、見比べると面白い。

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